父に日本側の謝罪の言葉を聞かせたい

父に日本側の謝罪の言葉を聞かせたい。 「父はもうあの世に行ってしまいましたが、最終的な勝利を知らせてあげたい。だから私は、損害賠償請求を続けます」。日本に奴隷のようにこき使われたことの動かぬ証拠である「華人労働従事證」を保有する天津市の崔慶雲さんの死去後、養女の王蘭芬さんが訴訟継承人となって、弁護士と「対日訴訟委託契約書」を結んだ…

タグ: 華人 強制労働者 弁護士  歴史

発信時間: 2010-12-28 11:44:56 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

「対日訴訟委託契約書」にサインする王蘭芬さん

「父はもうあの世に行ってしまいましたが、最終的な勝利を知らせてあげたい。だから私は、損害賠償請求を続けます」。日本に奴隷のようにこき使われたことの動かぬ証拠である「華人労働従事證」を保有する天津市の崔慶雲さんの死去後、養女の王蘭芬さんが訴訟継承人となって、弁護士と「対日訴訟委託契約書」を結んだ。王さんは三実世紀総合法律事務所の童新政主任を訴訟代理人に選任して全権を委託し、日本の株式会社熊谷組に対して「第二次大戦期の日本の中国人強制連行・強制労働」について訴訟を起こしている。王蘭芬と弁護士は損害賠償を勝ち取ることに自信を見せる。『天津新聞』が伝えた。

父の想いを養女が引き継ぐ

1943年、崔慶雲さんは露店で飴を売る母親とほそぼそと暮らしていた。7月のある日、荷積みに出かけると、「良民証」を携えていなかったという理由で、一台のトラックに押し込まれた。そして8日間乗り物に揺られ、到着したところは日本だった。それから3年間、飛行場や弾薬庫の建設を強いられた。昨年10月11日、崔さんは突発性の急性心不全でこの世を去った。91歳だった。

崔さんは生前、三実世紀総合法律事務所の童新政弁護士に、損害賠償の請求と提訴を委託した。童弁護士は2度日本へ行って証拠を集め、崔さんが強制労働を強いられていたときに所属していた株式会社熊谷組と接触をはかった。証拠を集める中で、崔さんが当時働かされていた弾薬庫を見つけただけでなく、中国人労働者が富士市の陸軍飛行場の建設に強制連行されていたことを裏付ける重要な資料を手に入れた。しかし崔さんの存命中には、損害賠償請求は大きな進展は得られなかった。

崔さんは子どもがなく、配偶者もすでにこの世を去っていた。崔さん亡き後、日本側に対する損害賠償請求は続けていくのか。継続するのならば、誰がその訴訟権利を引き継ぐのか。童弁護士と崔さんの養女の王蘭芬さんが話し合った結果、王蘭芬さんが崔さんの訴訟継承人となり、日本側に対して損害賠償を求めていくことになった。

父の最大の願いは日本側の謝罪

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