正式辞任の日は遠くない
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原発事故は、3月11日の地震津波の1時間後に始まり、既に制御不能に陥っていたのだが、事故の全容はまだ明らかにされていなかった。12日に1号機建屋が爆発で破壊された後になって、人々は原発の危機を知ることとなる。
清水社長がどんなに暗闇で一筋の活路を見出したいと願っても、彼は逃れようにも逃れられないのだ。菅直人首相は、海江田万里経済産業大臣を派遣し、東電本社に常駐させて、東電の一挙一動を絶えず監視した。国家装置は、全面的に東電への介入を開始した。
今後、この原発事故を制御し切れるかどうかにかかわらず、必ず、数億円の賠償金は支払わなければならない。東電には首都圏に安定的に電力を供給する義務があり、原発が失われた後は、火力発電施設での発電も必要になるため、数千億円から1兆円に上る火力発電の費用を支払わなければならない。使用可能な福島第二原発については、運転再開の具体的日程は白紙状態であり、また、現在計画中の第一原発の他の原子炉施設については、地元住民が計画の続行に同意するはずはなく、その損失も数百億円になる。
「東電としては社長の席を空けたままにしておくことはできない」と、勝俣会長は言う。「看脚下」が信条の清水社長は、近々、正式に東電を去ることになるだろう。
清水社長の今後の動向について、人々が大きな関心を寄せることはないだろう。「企業が事故を起こした場合、企業の責任者が逃げることは許されない」、というのが世論の主張だ。
1999年、 核燃料製造会社JCOの臨海事故では、職員2名が死亡した。親会社から赴任し、社長に就任したばかりであった木谷社長は、事故処理を終えた後、剃髪して僧侶となり、現在も小さな寺で亡くなった職員の冥福を祈り続けている。木谷社長は、JOCに赴任する以前には大企業で最高財務責任者を務めていた人で、、仏教徒というわけではなかった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年5月16日