中国の李娜選手が2011年全仏オープンテニスで、前年の覇者フランチェスカ・スキアボーネ選手を破り、アジア勢初の4大大会シングルス制覇を果たした。(6月4日)
すでに全仏オープンを制した李娜(リー・ナ)はさらに遠くまで進めるか?不惑の年(40歳)になった時、彼女の姿は後に続く若手選手を導くことになるだろうか?今、彼女とクルム伊達公子を比べる話題が尽きない。日本新華僑報が20日、伝えた。
全仏オープンで優勝を飾った中国の李娜は世界ランキングを4位に上げた。このことに世界のメディアが注目、アジア・テニス界の伝説となっている日本のクルム伊達公子と関連づけた報道が目立った。
◆よく似た成長の道のり
実際、二人の成長の道のりは非常によく似ている。1970年生まれの伊達は19歳でプロ入り。1995年の全仏オープンでベスト4入り、その年1月に世界ランキングを自己最高となる4位に上げ、アジアで初めて世界ランキング10位に入った選手となった。
一方、1982年生まれの李娜は1999年にプロ入り。2年後、北京で行われた世界大学生運動会で女子シングルス、女子ダブルス、男女混合ダブルスの3種目で優勝し、テニス界にその名を轟かせた。28歳でようやく世界ランキング10位に入り、そこからメキメキ実力をつけ、全仏オープンで優勝を果たした。二人とも途中で引退した経験をもつ。
二人には確かに深いつながりがある。アジア・テニス界のスターだった伊達は01年3月、中国テニス協会の招きで中国を訪れた。その時李娜はナショナルチームと省チームのコーチや選手らとともに伊達と交流したという。
伊達はその際、「アジアの選手は身長やパワーといった身体能力で欧米選手には劣るが、アジア人ならでは特徴を生かすことで、世界のテニス界で自らの地位を築くことができる」と語った。李娜が伊達をテニスの道を究めていく上で模範としていたかはわからないが、伊達の言葉と彼女のアジア・テニス界における印象が、李娜のような若手選手にとっては大きな激励となり、模範的な存在であったことは否定できない。
◆無数の青少年がテニスに興味