資料写真:日本の高齢者たち
最後に住んだのは洗足池で、その近くには「雪谷」という美しい名前の場所があった。ところがある日、その美しい雪谷で一人暮らしの老人が家の中で亡くなっていたというニュースを新聞で見た。発見された時、老人は死後1カ月以上経っていたという。ドアの郵便受けは新聞や広告で一杯になり、隣の人がなぜおかしく思ってドアをノックしたが、返事がなかった。そして長いこと老人を見かけないことを思い出し、警察に通報したという。
東京の古い通りに住んでいると、猫と老人が多いのに気づく。日本の老人たちは中国の老人のように孫の面倒をみない。日本の女性は働く必要がないため自分で子どもを育てる。男性の収入で一家を養えるからだ。
私が知っているもう一人の老人は、若い頃に家庭を顧みなかったために子どもに見捨てられた。妻も彼を恨み、一緒に暮らしていない。老人が病気になっても世話しなかった。しかし老人が亡くなると、家族が来て遺体を確認し、葬式を行った。
老人の家族はどうして最後には関わったのか?日本人からすると、それは責任があるからだ。彼らは身勝手な老人を恨んでいたが、家族には違いない。責任を社会に押し付けるわけにはいかない。父親が子供を育てる義務を放棄すれば、老後扶養してもらう権利を失うが、亡くなれば社会に影響を与える。家族は社会に迷惑をかけるわけにはいかない。日本人は「一人ひとりが自分の責任を果たし、社会には迷惑をかけない」とよく言う。(作者 陳希我氏)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年1月6日