東日本大震災から1年 放射能と闘った365日

東日本大震災から1年 放射能と闘った365日。 20年前に忌野清志郎がエルビス・プレスリーの名曲「Love Me Tender」に原子力発電反対のメッセージを込めて日本語歌詞をつけた替え歌が今、福島でまた流行している。なぜならこの替え歌は福島県民の心の声そのものだからだ。だが、原子力は要らないと叫びながらも、放射能汚染と共に生きて行かざるを得ない現地の人々は多い…

タグ: 放射能 震災 発電所 福島 南相馬市 除染

発信時間: 2012-03-13 10:01:14 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

福島県南相馬市

放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ、何言ってんだー、税金(かね)かえせ、

(中略)長生きしてえな

これは20年前に忌野清志郎がエルビス・プレスリーの名曲「Love Me Tender」に原子力発電反対のメッセージを込めた替え歌である。今、福島ではこの歌がまた人々の間で流行している。

なぜならこの替え歌は福島県民の心の声そのものだからだ。だが、原子力は要らないと叫びながらも、放射能汚染と共に生きて行かざるを得ない現地の人々は多い。

「原発さえなければ」

福島県南相馬市は福島第一原子力発電所から20キロメートル余り離れた所にあり、放射能汚染の危険から最も近い地域である。原発から半径20キロメートルの「警戒区域」の検問所から南相馬市の中心区域まで5キロメートルも離れていない。警戒区域の境界では今も数名の警察らが検問を行ない、区域内の治安を取り締まっている。県外からの特別出向警察官は「ウルトラ警察隊」と呼ばれている。こんな情勢の中でも人々はジョークを忘れていない。

警戒区域の検問所から市中心部に向かうと、静まり返った街の様子が否応なく感じられる。警戒区域に近いところでは、あらゆる店舗が閉ざされている。市中心部にまで行ってようやく、歩行者や営業中の店舗をちらほらと見かけるようになった。

昨年、原発事故が発生してから2週間後に南相馬市を取材した際、同市は「屋内退避地域」、つまり屋外の放射線量が高いため被曝を避けるために屋内退避を政府から命じられていた地域だった。

幼稚園や学校は直ちに閉鎖されたため、転出を余儀なくされた世帯も数多い。7万人だった同市の人口は、最も著しい時にはわずか1万5千人にまで減った。救援物資を運ぶトラックの運転手も放射能汚染を恐れて来たがらず、市民生活はマヒ状態になった。桜井勝延市長がその窮状を動画投稿サイトYouTubeの動画を使って訴え、全世界から大きな反響を呼ぶようになってようやく、状況が改善されるようになった。その後、桜井市長は米タイム誌・2011年版「世界で最も影響力のある100人」の一人に選出されている。

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