福島県南相馬市の商店街
あれから1年。放射線量の低下に伴い、戻って来た市民を合わせると今では4万人余りが南相馬市で暮らしている。だが、当該地域の放射線量は東京の9倍にもおよぶ。東京電力によると、第一原発は今もなお1時間あたり1,000万ベクレルの放射性物質を放出しているのだ。
「子どものいる家庭や若者はみんな出ていった。残ったのは全部年寄りばっかりだよ」と住民は語る。市役所に勤めていた公務員ですらも、8分の1が辞めるという空前の事態になっている。被曝による健康への影響を懸念しているという理由もあるが、何よりも、ここにいても未来がないと感じている人も多い。
昨年、南相馬市の除染作業を3年かけて行なうために国は600億万円の予算を組んでおり、復旧のための一縷の望みを託している。原発事故が起きてからは、同市の農業、水産業、畜産業、林業はすべて壊滅状態に陥っている。一番先に出荷禁止されたのは牛乳である。それにより酪農家3人が自殺した。そのうちの1人は「原発さえなければ」と壁に書き残し命を絶っている。そして今も生きている人々は、損害賠償をめぐり、東京電力とのせめぎ合いが続いている。
南相馬市では、昨年12月、今後10年の復興計画が策定された。幹部職員・高橋一善氏は取材に対し、「南相馬市は再生可能エネルギーによるクリーンな街に変わる。同時に原子力エネルギーの研究基地にもなる」と同市の未来像を語っている。だが、そうした素晴らしい未来が実現する可能性はどれくらいなのでしょう?と聞くと、高橋氏は苦笑いするだけだ。第一原発を廃炉するには最低でも30年かかるとされている。10年後、南相馬市は果たしてどこまで復興できているのだろうか?
だが、復興計画を策定した桜井勝延市長は南相馬市の将来に対し自信を持っている。この1年、桜井市長は文字通り全国を東奔西走し、南相馬市への支援を集めるために駆けずり回って来た。今回、南相馬市を取材に訪れた日も、同市長は東京マラソン大会に出場しており、「諦めぬ福島」をアピールしながら完走を果たしている。
◆放射能汚染との戦い