東日本大震災から1年 放射能と闘った365日

東日本大震災から1年 放射能と闘った365日。 20年前に忌野清志郎がエルビス・プレスリーの名曲「Love Me Tender」に原子力発電反対のメッセージを込めて日本語歌詞をつけた替え歌が今、福島でまた流行している。なぜならこの替え歌は福島県民の心の声そのものだからだ。だが、原子力は要らないと叫びながらも、放射能汚染と共に生きて行かざるを得ない現地の人々は多い…

タグ: 放射能 震災 発電所 福島 南相馬市 除染

発信時間: 2012-03-13 10:01:14 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

放射能汚染との戦い

資料写真:震災直後の南相馬市

70歳になる小武海三郎さんは、南相馬市議会議員を28年間務めた人物だ。彼は31歳の頃から福島県の原発反対派としてその中核を担ってきた。かつて、福島第二原子力発電所建設を反対するために、東京電力を相手に訴訟を起こしたこともあるほどだ。

小武海議員は、南相馬市の居残り組だ。40名の会員からなる市民団体「フクシマの命と未来を放射能から守る会」を立ち上げ、昨年9月より毎月、市民らと結束し、反原発デモ行進を行なっており、その人数は最多時には70人に達している。昨年12月には、市の中心部にある駐車場1カ所で採取した土壌を神戸大学に依頼し、その放射線計測を行なっている。その報告によると、1キログラム当たり約108万ベクレルの高濃度の放射性セシウムを検出している。この駐車場のある区域はかつて市内の緊急時避難準備区域(昨年9月解除)だったのだ。報告書では「高いレベルの汚染で、周辺に人を住まわせてよいとは到底考えられない」としている。

小武海議員は市を通じて同報告書の内容を国に提言したが、いつまでたっても国からの回答はない。そこで、記者会見を開き、報告書の内容を公開する手段を取らざるを得なくなった。また、市長に除染作業を推進していくよう要請している。小武海議員はこうした手段を以って、原発から半径20~30キロメートル圏に暮らす同市の人々の窮状を国民や行政にアピールしている。小武海議員は「南相馬市は強制避難地域ではないが、今もなお未知の危険が色濃く残っている」と述べている。

昨年12月16日、野田佳彦内閣総理大臣から、原子炉の「冷温停止状態」の達成を完了した旨の発表があった。また、「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と、事故収束を宣言している。これに対し、小武海議員は「我々の暮らしは一向に良くならないのに、何が収束だ」と怒りをあらわにしている。小武海議員が今一番気がかりなのは、福島第一原発4号機である。今の状況では、強い余震が来れば4号機プールの核燃料が全て溶融する危険性を孕んでいる。そして放射性物質が漏れ出したら、その後の被害の大きさは想像に難くない。余震が起きる度に、小武海議員はすぐさまテレビをつけ、原発の状況を確認している。4号機が危険な状態になれば、原発から最も近い南相馬市は一番にその影響を被るからだ。

小武海議員には仙台に住む娘さんがいる。そちらからの招きも断って今も夫婦2人で南相馬市に止まっている。夫妻はこの1年、出来るだけ外出を控え、当地の食品や水を口にしないようにしてきた。小武海議員は「残りの人生すべてをかけて、市民の安全のために、原発運動に邁進したい」と述べている。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年3月13日

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