文=奥井禮喜
資料写真:震災後の仙台市
「あの日から1年、復興が進まないなかで----」。3.11正午のNHKニュースの冒頭の言葉だ。続いて被災地で人々が撞く追悼・鎮魂の寺の鐘音を皮切りに被災者のこもごもの言葉がスナップされた。
たしかに復興は遠い。復興とは以前よりも盛んにすることである。いま懸命に続けられているのは《復旧》である。言葉の使い方が正確を欠いている。メディアには、くれぐれも情緒的表現にならぬように配慮願いたい。言葉の表現は修飾語から腐っていく。
たとえばある被災者の家庭を想像してみよう。自宅が津波で流され、いまは狭い仮設住宅に住んでおられる。この家族の復旧とは単純にいえば以前と同様の家に住む生活である。
仮に以前の自宅のローンが残っていないとしても、新たに手ごろな土地を見つけ、新築するのは容易でない。まして復興となれば、新築の家で生活状態が以前より豊かになることだから、商売しているかお勤めかはともかくとして、それもまた簡単に手にできるものではない。
日本全国、いわずもがな最大の関心は目下経済事情だろう。少なくとも円高は一服した。あれほど悲嘆にくれていたのだからもう少し喜んでもよろしいではないか。国内生産はこの3月度で被災前水準に復旧する見込みだ。これも大層嬉しいではないのか。
インフラが19.6兆円の被害である。一つひとつ仕事を精緻丁寧に積み重ねていく決意を新たにすべしだ。宮城県ではいまのペースで復旧には5年必要だという。失職者5万人、区画整理や集団移転の企画・推進する技術者が不足しているらしい。役所間応援体制が継続している。さらに期待される。
国の第一次補正予算4兆円・第二次補正予算2兆円・第三次補正予算12.1兆円・第四次補正予算2.5兆円、合計20.6兆円だ。1次〜3次補正予算の執行は68%に及ぶそうだ。一方、工事発注率はたかだか7%じゃないかと批判される。しかし予算が決まって具体的に配分する手続きはそう簡単ではなかろう。それぞれの担当者が計画に基づいて書類を作り提出し、審査され、少なからぬやりとりが交わされて決定される。具体的工事の業者選定にしても公告して入札して----という手順を考えれば一気呵成にはいかぬ。