文=コラムニスト・中川幸司
世界の誰もが信じられないほどの悲惨な光景が、テレビ・新聞などの伝統的なマスメディア、そして近年発達したインターネットメディアによって世界に瞬く間に伝えられた「あの日」から1年が経過しました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災は間違いなく日本の歴史に深く刻まれていく天災であり、また日本の歴史上初めて即時に世界に向けて刻一刻と変化する状況が映像として伝えられた非日常的な天災でありました。
改めまして、東日本大震災で被害に遭われた方に対し謹んでご冥福を申し上げ、またそのご親族の皆様、そして今も尚、避難所での生活を強いられ震災以前の生活に回復されていない皆様に対し、一日でも早い経済的・物理的な復興と、精神的な回復をお祈り申し上げます。
この震災一周年のブログの冒頭にて誤解をおそれずに発言するならば・・・「この1年間、日本はまったく動きませんでした。」というのが正直な僕の感想です。
震災発生のその直後から、最も直接的被害の多かった東北地方では多くの「現場」において、それぞれの住民のみなさんが助けあい、食べ物をわかちあいました。主に公共交通機関への被害によって都市機能不全に陥った首都圏においても国民の一人ひとりが毅然たる態度をとり、小さな混乱は生じたものの、あたかも日本国民は以前から「この時のための避難訓練」がなされていたように、パニック行動を最小限にとどめました。企業から国民ひとりひとりに至るまで、「助け合い」「絆」の精神が隅々まで行き渡っていたという日本文化の真骨頂が世界の共感をよんだものでありました。(また、世界からの多くの義援金・支援物資、本当にありがたかったと思います。)
各産業においても、程度の差はあれ物流・ロジスティクスの致命的問題点が発見され、被災地域にハードインフラを置いている企業活動が停止したことによって、産業価値連鎖(バリューチェーン)が分断され、直接的な被災地域に無い企業においても、企業活動が著しく阻害されるという事態も多く発生しました(例:自動車重要部品を製造する企業の被災によって、被災地にはない自動車工場での生産がストップしてしまう。)。しかし、これも被災から数ヶ月の期間をもって、当初の予想よりも早く、様々な代替方法、そして現場レベルでの連日連夜の検討の結果、個別の企業は震災の被害を克服し、産業バリューチェーンは震災以前よりも一層強いものとなりました。企業と産業のリスク管理技術の向上によって、いわゆる「雨降って地固まる」が発生し、強い構造体となったわけです。
もちろん、個人商店など比較的小規模にて、東北の被災地にて活動していた企業は、復興どころか廃業においこまれた例も多く、決してすべての企業が回復したというには程遠い状況ではありますが、各所で、産業回復への努力がいまも必死に行われている状況です。
中川幸司さんのブログ「情熱的な羅針盤」