僕は政治家の個人個人が震災復興に向けて動かなかったといっているわけではありません。おそらく、「それなりのレベル」で動かれていたと思います。しかし、そこには「必死さがなかった」はずです。自らの生活、社会において期待されている自らの役割が「失われるかもしれない」という必死さがなかった。芸術家が今回の震災に対して、何のインスピレーションもわかなかったら、それは芸術性の欠如であり、みずからの専門性に自ら疑問を抱くでしょうし、企業は業績を回復できなければ倒産してしまいます。だから必死だったはずです。ですが、政治家は必死さがなかった(議員の議席を守るという必死さはあったはずですが・・・。政治家の本質は議席を守る必死さではなく、政治という活動をする必死さです。)。次の選挙での当落など考えず、震災復興に身を投じる方が少なかったのです。だから結果的に全体として「政治は動かなかった」ということになろうかと思います。
音楽家がひとの心に伝わる音楽を奏でることができなくなったら、自らの進退を考えるでしょう、会社の社長さんが企業を運営できなくなったら倒産が迫ってくるでしょう、政治家も本来そうあるべきで「国家の財産・国家の利益」を保持・発展させること活動ができなくなったのならば、進退を考えるべきです。政治家だけが「長期的な視野だから」「いま政治をストップさせることはできないから」「政党が機能不全に陥ってはいけないから」などという「体の良い言い訳」を盾にして曖昧な復興活動するなどというのは、まったくもって意味のないことでありましょう。
これだけの震災をもってしても、変わらなかった日本の政治です。いまこの1年を振り返り、日本の「政治」以外のみなさん、本当にお疲れ様でした。震災の傷から、復興を通じてより良いものへと昇華させていきましょう。「雨降って地固まる」であります。
日本の「政治」中枢に携わるみなさん、「必死さとは何か」「真摯さとは何か」改めてお考え頂ければと思います。
すべての社会セクターが活動しなければ、東日本大震災からの最終的な復興はありえません。この1年間で「政治」以外は結果をだしました。さて、「政治」においての彼らが言う「復興」は、これからということですが、少なくとも(!!!)次の1年では結果を必ず出していただきたいと思うのは僕だけではないのではないでしょうか。
(中川幸司 アジア経営戦略研究所上席コンサルティング研究員)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年3月13日