資料写真:脱原発を訴える日本の抗議集会
福島第一原発事故の発生後、脱原発は日本国内で大きな議題となっている。日本国民は政府に対して、原発の全面的な稼働停止を訴えている。先週日曜日、数万人のデモ隊が東京の街頭を行進し、さらには国会議事堂を包囲し、政府の大飯原発再稼働に対して抗議した。7月31日付香港紙『信報』が伝えた。
脱原発が日本で新たなうねりを盛り上げ、革命が静かに始まった。日本の脱原発の動きに対して、海外メディアは「日本版ジャスミン革命」と称しており、日本国内の活動家は「紫陽花革命」と称している。日本の大規模な社会運動は、1958−1960年の日米安全保障条約に関する抗議活動だ。当時数十万人の市民が街頭デモを行い、条約の締結に反対し、毎週デモ集会を開催した。これは日本の社会運動のピーク期と呼べるが、国会が条約の締結を強行採決すると、抗議活動は沈静化していった。
原発事故後、脱原発の声があがり、徐々に新たな社会運動となった。野田首相は脱原発の声を無視し、大飯原発を再稼働させた。これにより脱原発のムードが盛り上がり、今日の事態に陥ることとなった。
今回の抗議活動の中に、多くの若者の姿が見られた。彼らはSNSを利用し、人々に集会・デモへの参加を呼びかけた。彼らは日本の「失われた20年」を生きた控えめの世代だが、今回の活動により立ち上がり、覚醒した新たな世代となった。