「釣魚島で始まり、釣魚島で終わった」
丹羽宇一郎氏は2010年7月に在中国大使に着任、日本で初めての民間出身の在中国日本大使だった。1980年代の中国改革開放初期にはすでに、伊藤忠商事から派遣されて中国駐在を経験している。対中業務に長け、中国での人脈も広く中国事情に精通していた。
26日、丹羽大使はこの座談会でこれまで訪れた多くの中国の都市や省に、深い印象が残っていると語った。日本大使館報道官によれば、丹羽氏がよくいっていたという「百聞は一見にしかず、自分で行って見て聞いて、初めて真実の中国がわかる」との言葉を伝えた。
また、この座談会で丹羽大使は自らの在任期間を振り返り、「釣魚島で始まり、釣魚島で終わった」と語った。
まさに丹羽氏の言うとおり、2010年夏に着任後、9月には中日漁船衝突事件が勃発し、外交経験があまりなかった彼は初めての外交危機に巻き込まれた。2年を経て、日本の「島購入」騒動でまた釣魚島の波風が湧き起こった。今年6月、丹羽氏は英紙・フィナンシャルタイムズの取材で石原慎太郎の「島購入計画」について「もしこれを本当に実行すれば、中日関係は深刻な危機に直面するだろう」と批判した。この発言が日本で大きく物議を呼んだ。その後、野田首相は釣魚島国有化方針を打ち出し、中日関係が緊張する中、丹羽大使が乗っていた公用車の日本国旗強奪事件が発生したのだった。
“以钓鱼岛开始,以钓鱼岛结束”
丹羽宇一郎2010年7月开始担任驻华大使,成为日本第一位“民间人”驻华大使。早在上世纪80年代中国改革开放初期他就被伊藤忠商事派到中国营商。他擅长对华业务,在中国人脉广泛,对中国情况很了解。
26日,丹羽在座谈会上还谈到自己曾经去过多个中国城市和省份,印象深刻。日本驻华使馆新闻官对本报记者转述称,丹羽曾表示“百闻不如一见,要亲自去看一下,听一下,才能了解真实的中国”。
座谈会中丹羽总结自己的驻华大使生涯,“以钓鱼岛开始,以钓鱼岛结束”。
正如丹羽宇一郎所说,他2010年夏天来华上任,9月发生中日撞船事件,没有太多外交经验的他,第一次斡旋在外交危机之中。两年后,日本“购岛”闹剧再掀钓鱼岛风波。今年6月,丹羽在回答英国《金融时报》采访时批评石原慎太郎的“购岛”计划,他说:“如果真的那么做,中日关系将会面临深刻危机。”此言在日本引起轩然大波。此后日本首相野田佳彦提出了“国有化”钓鱼岛方针,在中日关系紧张之际,发生了他所乘坐车辆的日本国旗被抢事件。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年11月27日