1894年7月25日、日本は朝鮮・中国侵略の野心を実現するため、朝鮮豊島沖の清朝の軍艦に奇襲をかけ、甲午戦争(日本名・日清戦争)の序幕を開いた。
120年後の今日、靖国神社の拝殿前には、日本の甲午戦争、日露戦争、全面的な中国侵略戦争に到る「武功」を記した石灯籠が置かれている。日本の右翼分子にとって、この二つの石灯籠はかつての「栄光」の象徴だ。しかし平和を愛する人々にとって、これは罪の歴史を記録した恥辱の柱である。
「明治の神話」の裏
日本の近現代史において、明治維新は日本の現代化の始まりとされ、「明治の神話」と称されている。しかしこの「明治の神話」には、廃藩置県、殖産興業、文明開化の他にも、富国強兵や脱亜入欧のスローガンの下に発動された二つの戦争、甲午戦争と日露戦争が含まれる。
甲午戦争は日本が近代になり初めて仕掛けた、大規模な対外戦争だ。その結果は、日本のその後半世紀以上に渡る歴史の流れに、決定的な影響を及ぼした。日本はこの時から、軍国主義に向かったのだ。
日本の中学校歴史教科書は、甲午戦争から10年後の日露戦争について、日本は「脅威」と「存亡」の間で反応を余儀なくされたと記述している。実際には日本は2回の戦争により中国台湾を占領し、朝鮮を併呑し、中国東北地区と遼東半島で足場を固めた。さらに馬関条約(日本名・下関条約)や辛丑条約(北京議定書)の賠償金などの「ボーナス」により軍備を拡大し、中国の領土に手を伸ばそうとしていた。
また甲午戦争により、明治維新で台頭した日本は、戦争と侵略が富国強兵を実現すると誤解した。これによって、日本社会の心理に重大な変化が生じた。支配者層から知識分子、更には一般人に到るまで、日本の列強としての「大国意識」を持つようになった。急激に膨らむ優越感は、軍国主義思想の温床となった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年7月25日