上海台湾研究所、上海市台湾研究会、雑誌『台海研究』、上海交通大学日本研究センター、華東師範大学両岸交流・地域発展研究所は8月15日、上海交通大学にて学術シンポジウム「甲午戦争の反省、両岸海洋協力」を開いた。上海東アジア研究所副所長の胡凌イ氏(イは火に韋)は、「中華民族の復興を実現するためには、全面的に国家の総合的な実力を強化し、人民の生活を改善しなければならない」と指摘した。「環球ネット」が伝えた。
胡氏の発言内容は下記の通り。
戦争は国家の総合的な実力の駆け引きだ。歴史を鑑とし、清朝末期の中国と明治維新後の日本の甲午戦争(日本名・日清戦争)前後における各方面の違いを比較することで、中国はより意義深い啓発を受けることができる。19世紀中頃、西側の列強が東洋に侵入すると、清朝は洋務運動(近代化運動)、日本は明治維新を始めた。しかし中日両国の西洋文明の学び方には差があった。日本は制度面から革新的な変化を実現したが、清朝は表面的な形式に留まった。中日両国の政治・軍事制度の差により、清朝と日本の対決は、前近代国と近代国との対決になった。清王朝の敗戦は避けられなかった。
甲午戦争前の清朝は、全面的な国民意識の啓蒙に取り組まなかった。近代になり列強が台頭すると、中国には民族と国家の総合力により侵略に対抗する必要が生じたが、国民意識の低さが大きな弱点となった。日本は中国の文化を1000年以上継承してきたが、明治時代になると日本の思想家は「国民」の問題を提起し、積極的に「国民の政治」を提唱した。明治維新を経た日本は、甲午戦争までに近代的な国民意識を形成していた。
甲午戦争の勃発、終戦後の長期間に渡り、日本は国際法による発言を通じ、自国を美化し、清軍のイメージダウンを図った。甲午戦争中、日本は何度も国際法に違反していた。しかし国際法の使用に慣れた日本は、戦争の罪を覆い隠した。甲午戦争後、日本は「国際法の順守」の宣伝に取り組んだ。国際法の意識の低さにより、中国は権利を侵害された際に、武器を持ち自国を守ることが難しくなった。
中日両国の戦争の前後における国内外の施策の違いを見ることで、中国の敗戦が単なる北洋水師(北洋艦隊)の失敗、軍事戦略の失敗ではなく、清王朝の政治腐敗による国家全体の失敗であったことが分かる。甲午戦争後、中国は台湾を失ったばかりか、巨額の賠償金を支払った。増長する日本は朝鮮と東北三省を侵略し、全面的な中国侵略戦争を発動した。
中日関係の歴史を振り返ると、中国が強く日本が遅れている時に、中日関係が平和と友好を維持できることが分かる。中国が遅れ日本が強くなると、中国は日本の侵略を受けやすい。これは中日両国の国民性の違いによるものだ。再び甲午の年を迎えた今日、大陸は30年の改革開放を経て、総合的な国力の質的な飛躍を実現した。中国大陸は、単一的な指標の上昇は国家全体の実力を測る指標ではないことを、はっきりと認識している。中華民族の復興を実現するためには、国家の総合的な実力を全面的に強化し、人民の生活を改善しなければならない。内から外に示される強さがあってようやく本当に強いといえる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年8月20日