中日経済・貿易交流に尽力した早大卒業生
80年代生まれの裴涛氏は2006−14年に日本で留学し、早稲田大学大学院環境・エネルギー研究科修士課程を修了した。現在は中国国際貿易促進委員会中日韓企業交流センターで勤務している。
裴氏は学生時代、日本の明徳義塾高等学校の教員や学生と交流した。日本人との交流はこれが初めてだった。「この交流から深い印象を受け、高校から日本に留学することを考えた」裴氏はこの選択ができたのも、改革開放後の柔軟な海外留学制度のお陰と考えている。
裴氏は日本で修士課程を修了するまで、早稲田大学中国留学人員友好連誼会会長を務めていた。名門校の人気の専攻を修め、日本で高給の仕事を見つけるのは難しくなかった。しかし裴氏はためらうことなく卒業後すぐに帰国し、中国国際貿易促進委員会中日韓企業交流センターに就職した。裴氏は次のように話した。帰国を選んだのは、外国にいると放浪しているようで落ち着かず、それから事業の発展という重要な理由もあった。日本の社会・経済発展は成熟期に入っており、日本で就職しても普通の会社員にしかなれなかっただろう。しかし帰国すれば異なる。経済規模の急成長、モデルチェンジ・アップグレードが、大きなチャンスを生んだ。私はよく中国の中小企業を集め訪日し、現地の企業と商談することがある。中国側の日本側への最大の需要は環境保護と介護で、特にその先進的な技術と管理方法となっている。日本の中小企業経営者も、中国市場を非常に重視している。私が今取り組んでいるのは、双方の需要を効果的にマッチングさせ、相互補完を促すことだ。
日本留学の8年間で、中日関係は紆余曲折を経て、中日間の経済的なパワーバランスにも変化が生じた。中国のGDPは2010年に日本を追い抜き、2位になった。裴氏は「訪日したばかりの頃は物価が不慣れで、日本のいたるところが先進的と感じた。今や北京に戻ると、生活水準が東京とほとんど変わらないことに気づく。訪日留学生である私は、改革開放による経済成長の成果を実感している」と話した。
裴氏は「留学生活から得た最大の収穫は、日本人のきめ細やかな働きぶりが骨の髄まで浸透したことだ。私はこれを、中国人の大胆な発想を実行に移す向上心あふれる精神と結びつけたい」と語った。裴氏は未来の活動計画について「創業は中国経済発展の新たな動力の一つだ。日本には多くの家族企業があり、若い継承者がいる。中国には多くの創業者がおり、彼らは創業の世代だ。中日両国の青少年ビジネスリーダーの交流促進に尽力したい」と述べた。