中国の「慰安婦」を支える人たち 日本に謝罪させるために奮闘

中国の「慰安婦」を支える人たち 日本に謝罪させるために奮闘。「中国慰安婦民間調査の第一人者」の張双兵氏、中国戦争被害者「慰安婦」訴訟弁護士団団長の大森典子氏、訴訟団メンバーの中国人弁護士の康健氏、「中国慰安婦問題研究の第一人者」の蘇智良氏である…

タグ:慰安婦 大寒 裁判所 賠償

発信時間:2018-08-18 09:00:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る



 8月14日は世界「慰安婦」記念日にあたる。同日、日本軍が侵略戦争中に行った「慰安婦」暴行を明らかにする映画『大寒』が再上映された。高齢の中国人「慰安婦」が再び衆目に晒され、彼女たちの経歴に対し悲痛の声が上がっている。

 

 あまり知られていないが、数十年にわたり彼女たちに寄り添ってきた人たちがいる。「中国慰安婦民間調査の第一人者」の張双兵氏、中国戦争被害者「慰安婦」訴訟弁護士団団長の大森典子氏、訴訟団メンバーの中国人弁護士の康健氏、「中国慰安婦問題研究の第一人者」の蘇智良氏である。山西、東京、北京、上海にいた彼らは1990年代初めにあるきっかけで出会い、中国「慰安婦」問題研究に着手し、被害を受けた高齢者の日本政府告訴を支援してきた。

 

 『環球時報』の記者はこのほど、高齢の中国人「慰安婦」を支えてきた4人を取材し、この20年の紆余曲折を聞いた。

 

張双兵氏:1日生きるのは1日戦うのと同じ

 

 『環球時報』の記者が7月31日に四川省の建川博物館の工農兵旅館で張双兵氏と会った時は、ちょうど映画『大寒』の宣伝期間だった。長旅で疲れた彼は活動の合間に宿泊所のベッドで休んでいたが、記者に気づくとすぐに体を起こし、髪を整えて迎え入れた。あくびをし、疲れた様子だった。

 

写真は、取材当日(7月31日)、四川省大邑県の建川博物館にいる張双兵氏

 

 張双兵氏は「中国慰安婦民間調査の第一人者」と言われている。過去36年で、彼は「慰安婦」と見られる高齢者約300人を見つけ、130人以上が日本軍による犯罪を認め、詳しく語り、120人の物語が映画『大寒』の素材に使用された。また、彼は「慰安婦」16人を3回に分けて16年かけて実名訴訟し、日本政府に公開謝罪と賠償を求めた。

 

2004年6月、張双兵氏は中国人「慰安婦」を連れて日本の国会で賠償請求会議を行った。

 

 1937年12月から1945年8月、中国侵略日本軍109師団135連隊は山西盂県を侵略し、70カ所以上に「慰安所」などの施設を設立し、1000人以上の「慰安婦」を強制連行し、彼女たちを乱暴に傷つけ、多くの被害者が日本軍の残虐行為で命を落とした。

 

 張双兵氏は盂県西潘郷羊泉村の小学校教員で、1982年秋に児童の家庭訪問に向かう途中で地面にしゃがんで麦を刈っている侯冬娥さんと出会い、彼女が「慰安所」で屈辱を経験し一生傷が残っていることを知った。張双兵氏はこの上ない衝撃と怒りを覚え、中国人「慰安婦」を探し始めた。

 

 どこかに「慰安婦」と見られる高齢者がいると聞けば、張双兵氏はぼろぼろの自転車に乗って聞き回り、わずかな手掛かりも逃さなかった。当時、張双兵氏の月収は50~60元で、普段の生活費を除くと半分以上を調査に費やし、家族からは反対もあった。母親から生前に、それらの「慰安婦」はあなたの母親かと言われたこともあるという。


 

写真は1998年冬、山西省の「慰安婦」高齢者の李秀梅さんのもとを訪れた張双兵氏

 

 しかし、噂があっという間に広がる農村で、女性に「慰安婦」だったことを認めさせるのは非常に困難で、調査は進展しなかった。1990年代初め、張双兵氏は新聞で日本が戦時中の中国人労働者に賠償するという記事を目にした。彼は「高齢者たちが苦しみを訴えるときがきた」と興奮した。十数年かかり、彼女たちは張双兵氏に心を打ち明けるようになり、賠償のことを聞いた家族らの態度も変わり、張双兵氏はようやく作業できるようになった。

 

 しかし2007年4月27日、日本の最高裁判所は敗訴判決を下した。謝罪も賠償もなくなり、一部の家族は怒りを張双兵氏にぶつけた。彼はこれにより辛い思いをし、暴力を受けたこともあった。ある年の大晦日には裁判所から名誉毀損の賠償金要求も送られてきた。取材中、表現しづらい場面で彼はため息をついた。そのため息からは想像を絶することを経験したことが感じられる。

 

 取材当日は『大寒』の127人目の「慰安婦」曹黒毛さんが亡くなって7日目だった。張双兵氏は「母親を亡くした。しかも約束を破ってしまった」と涙ながらに語った。張双兵氏によると、多くの「慰安婦」が日本軍の暴行により出産できなくなり、悲惨な晩年生活を送っている。彼は、日本政府に謝罪させ、賠償させることを約束していた。

 

 「少しやるせない気持ちになることもあるのではないか」という記者の問いに対し、「少しではなくかなり。自分は65歳になり、心臓病を抱え、健康ではない。気持ちはあるが力不足だと常々感じる。でも諦めきれない、一生続ける。いつか高齢者たちに正しい考えを持ってもらう。1日生きるのは1日戦うのと同じ」と語った。


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