中国の「慰安婦」を支える人たち 日本に謝罪させるために奮闘

中国の「慰安婦」を支える人たち 日本に謝罪させるために奮闘。「中国慰安婦民間調査の第一人者」の張双兵氏、中国戦争被害者「慰安婦」訴訟弁護士団団長の大森典子氏、訴訟団メンバーの中国人弁護士の康健氏、「中国慰安婦問題研究の第一人者」の蘇智良氏である…

タグ:慰安婦 大寒 裁判所 賠償

発信時間:2018-08-18 09:00:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る


康健氏:被害者が亡くなったらこの件は終わりだと思って欲しくない

 

 北京方元弁護士事務所主任の康健氏は、中国「慰安婦」対日訴訟弁護士団のメンバーでもある。彼女は23年で山西、海南、遼寧などの省をまわり、日本人弁護士による中国人「慰安婦」の状況調査と日本政府訴訟に協力した。

 

 1995年9月、国連の世界女性会議が北京で開かれ、康健氏は中国の女性弁護士代表として出席した。座談会の終盤で、日本人弁護士の大森典子氏は中国人「慰安婦」訴訟案に法律面の支援をすることを提起したが、開国人弁護士であるため不便な点が多く、中国人弁護士に助けを求めた。当時、会場は静まり返ったが、康健氏は自ら願い出た。彼女は記者に対し、「本当は一度だけ調査に協力するつもりで、一生やるとは思っていなかった」と話した。

 

 日本弁護士団によると、康健氏と張双兵氏は手紙で連絡を取り合った。康健氏は2通目の手紙で張双兵氏に、1996年3月に山西省に「慰安婦」調査に行くことを伝えた。

 

 山西省盂県西潘郷羊泉村の「慰安婦」の劉面換さん宅で、彼女は当時の悲惨な状況を思い出して康健氏の胸の中で「自分はきれいではない。人ではない」と号泣した。1943年、3人の日本兵が劉さん宅に押し入った。当時16歳の劉面換さんは必死に抵抗し、日本軍は銃床で彼女の左肩を叩いて強制連行し、40日間駐屯地に監禁した。そのせいで、彼女に障害が残った。

 

 康健氏は侯巧蓮さんの経歴にも心を痛めた。当時、ある人物が日本兵に彼女の父親が八路軍と関係していると伝え、父娘2人が連行された。日本兵はまず2人に暴力を振り、父親をオンドルのたき口に入れ、その上でまだ13歳だった彼女に暴行を加えた。

 

 康健氏は記者に対し、「十数年たっても、一部の高齢者は自分たちが悪いと思っている。他人がいない部屋で、彼女たちは私の耳元でこれらのことを話してくれた。彼女たちにとって、これは人に知られてはいけない恥ずかしいこと」と話した。

 

 家族が侯巧蓮さんを取り戻したとき、彼女は正常な精神状態でなく、回復するまで長期間かかった。1998年頃、侯巧蓮さんは日本で出廷し、帰宅途中で北京を通り、康健氏が彼女を天安門と故宮に連れて行くと非常に喜んだ。その数カ月後に彼女は亡くなった。「これらのことを話すと今でも背筋が冷たくなり、体が震える。本当に腹立たしい。当時、最後まで彼女たちを支えると決意した」と康健氏は語った。

 

 康健氏はこれまでに日本で50回以上出廷したことがある。65歳の彼女は今でもあちこちを駆け回り、日本政府に歴史を正視するよう促す手紙を毎年送っている。また、「慰安婦」の遺産申請にも積極的に取り組んでいる。彼女は、「民間団体の力はまだ弱いが、継続しなければいけない。被害者が亡くなったらこの件は終わりだと思って欲しくない」と話した。


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