蘇智良氏:「慰安婦」のために何ができるか
上海師範大学「慰安婦」研究センター主任の蘇智良氏は偶然訪れたきっかけでこの研究を始めた。1992年から1993年まで、蘇智良氏は東京大学の客員学者をしていた。ある日本人学者は彼が上海出身であることを知り、日本軍の最初の「慰安所」が上海にあったことを知っているかと聞いた。
蘇智良氏は上海の歴史を専門に研究していたが、「慰安婦」については全く知らず、中国人として掘り下げて研究する責任がある分野だと思った。
1993年の帰国後、蘇智良氏は「慰安婦」の歴史調査研究を開始した。彼は上海に4カ所の「慰安所」があったと思っていたが、確認できた数は180カ所に達した。蘇智良氏は、「戦争状態で記録できたのは氷山の一角に過ぎず、実際はもっと多いだろう。日本軍は「慰安婦」制度を徹底し、多くの被害者が表札もない「慰安所」や拠点、砲楼に連れて行かれた」と話す。蘇智良氏によると、生存する中国の「慰安婦」は14人だったが、曹黒毛さんが今年7月に亡くなり13人になった。しかし先日、湖南省の90代の彭仁寿さん、彭竹英さん姉妹が「慰安婦」の経歴を初めて公開し、現在は15人になった。「慰安婦」被害者の統計作業はスタートが遅く、30~50年前に訴えるよう働きかけていれば、現在より多かったと蘇智良氏は話す。
蘇智良氏は「慰安婦」研究を20年以上続けており、その原動力について、「数千年続く中華民族の中に、行動を起こす人は必ずいる。‘耕作だけを気にして収穫を気にしない’というわけにはいかない。学者として、この歴史を詳しく記録する必要がある」と述べた。
2007年の最終判決から11年が経ち、中国人「慰安婦」が日本政府から謝罪と賠償を受けられる可能性はどれほどか。これについて蘇智良氏は、反人道的な罪が永遠に責任追及されなくても、中国の民間には賠償請求する権利があるとの見解を示す。「いつか正しい判断が下る。その日がいつになるかわからないが」と話す彼は、戦争に終わりはないと思っている。この戦争は「慰安婦」被害者と当時の人たちだけでなく、後世、さらには現在の若者にも影響を及ぼしている。
映画『大寒』について、蘇智良氏は「欠けている部分もあるが、これは一種の記録方法。慰安婦のために何ができるか。映画を制作したり、報道するだけでもよい」と述べた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2018年8月18日