戦争
100年余りある近代夏季五輪の歴史において中止になったのは3回で、いずれも戦争に関係している。
1916年の第6回五輪はベルリンで開催される予定だった。当時の報道によると、「近代五輪の父」とされるクーベルタン男爵は開催地を決める際、五輪がドイツの平和の力を団結させて戦争反対を促し、大戦が一発触発しそうな欧州に平和が戻る手助けになればとの願いを込めたという。
しかし彼の願いは叶わなかった。1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、1918年11月にようやく終結した。戦火の硝煙の中、ベルリン五輪は中止になった。
第一次世界大戦中、32人の五輪選手が戦死、うち16人はメダリストだった。そしてパリが戦火に巻き込まれた際、IOCは本部を中立国のスイスに移した。
第一次大戦後、世界の平和は長くは続かなかった。第二次世界大戦の勃発にともない、悲惨な戦争は欧州とアジアを跨ぎ、戦火は大西洋、太平洋、さらには北極海にまで及んだ。そして人類史上最大の世界戦争となった。
第二次世界大戦は1945年9月にようやく終結し、その間2回の五輪が中止となった。それが1940年の東京五輪と1944年のロンドン五輪である。
近代五輪は「友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあう」オリンピック精神に基づいているが、皮肉なことに、戦争という人類の醜い欲望の集中的爆発により中止を余儀なくされた。