「銀の銃弾」と呼ばれるA6M
米空軍専門誌「Airpower Journal」の12月号によると、第二次世界大戦前、日本は世界でもトップレベルの戦闘機を所有していると言われていた。その名も「Silver Bullet(銀の銃弾)」である。しかし、日本軍は第二次大戦中の空軍戦略において愚かな間違いを犯し、米国が太平洋戦争で勝利を勝ち取るために手を貸してしまったのだ。日本が犯した間違いは今となっては、一つの教訓として空軍に警告を与えている。
愚かなミスその1
優秀な戦闘機を少数使用すれば勝利を収める事ができると思った
トップレベルの戦闘機とトップレベルのパイロットは、日本の指導者たちを大きな過ちに陥れた。優秀なパイロットが操縦する戦闘機があれば、少ない数でも大規模な戦争に勝てると過信させたのだ。
第二次大戦前、海外の優秀な技術を取り入れ、日本はオリジナルの飛行機を製造した。日本の技術者たちは1911年から1936年のたった20年ほどの間に、日本の航空機製造業を大きく前進させた。双翼の飛行機しか作れなかった日本は世界トップレベルの戦闘機を製造できるまでに成長したのだ。
第二次大戦初期において、日本が有利な戦闘を展開できた要因はパイロットを訓練する質が高かったからでもある。加えて、彼らの作戦には同じように良く訓練された陸軍部隊の応援があった。日本のパイロットは「武士道」精神に基づいた過酷な訓練によって生まれたのだ。
しかし、日本軍は2つの大きなミスを犯した。まずは、日本軍のトップが中国を征服できると信じて疑わなかった事である。日本の戦闘機は空において絶大な覇権を握っており、陸軍の爆撃機も長距離の飛行が可能で、無防備な中国の都市を爆撃するには十分だと思ったのだ。そして、1941年後半に大きな賭けに出てしまった事も間違いだった。海軍は空中戦において、驚異的な攻撃力で米国の海軍と空軍を壊滅に追い込む事ができると思っていた。最終的には米国を第二次大戦から完全に撤退させることができるとさえ目論んでいたのである。
皮肉なことに、日本軍のトップは自国が優れた最新鋭の戦闘機を持っているという理由だけで、このような作戦に出たのである。新型の戦闘機を使用することで、大日本帝国は自国の海軍の空中での戦闘威力は無敵だと思っていた。このような過信と傲慢は軍の視野を極端に狭め、相手側の真の力がどの程度かなどという事までは考えようともしなかったのだ。そのようにして作戦はことごとく失敗に終わり、日本は大きな被害を被ったのである。
愚かなミスその2