英国が建造した世界最初の准空母「フューリアス」と初の本格的空母「アーガス」は、いずれも“途中”(本来の建造目的)から空母に改造されものであり、真の“純血種”の空母といえば、日本の「鳳翔」と英国の「ヘルメス」が上げられる。1918年、英国人は専用の空母建造に着手。折あしく、第1次世界大戦の終結に伴い、軍隊が縮小されたため、「ヘルメス」の建造スピードは落ち、23年にようやく正式に配備されたが、「世界初」の冠は「鳳翔」に献上することになった。
日本の空母「鳳翔」
長年にわたり「英国を師と仰いできた」日本海軍は、英国の一挙手一投足に絶えず注意を払っていた。1920年、日本は英国の歩調に合わせ、初めての空母「鳳翔」の建造に着工、22年12月に正式配備した。基準排水量はわずか約7000トンと、「ヘルメス」より約1万トン少ない。船体は小さく、飛行甲板は狭く、艦上のアイランド式建築物がかなり障害となり、パイロットからはあまり歓迎されなかった。配備されてまもなく、上層の建築物が撤去され、甲板は完全に平坦になった。
その後、飛行機本体と重量が増大するに伴い、アイランド式建築物を取り払っても、狭い甲板での離着陸はますます難しくなっていった。このため、34年、「鳳翔」は第一線を離れて二流の戦艦に零落、訓練のみに利用されることになった。第2次大戦前夜、作戦能力の収集を急いでいた日本海軍はこの最も古い空母を思い起こし、応急に飛行甲板の幅と長さを広げ、なんとか零式など新型艦載機(ゼロ戦)を使用できるようにした。
「鳳翔」の生涯で唯一、一筆するに値するのは、ミッドウェー海戦に参加したことだが、山本五十六が指揮する連合艦隊の掩護兵力として、常に数百キロの外に身を置き、戦闘に参加する機会はまったくなかった。海戦後、4隻の大型空母を失った日本海軍は再び「鳳翔」に注意を向けるようになった。
43年、この老空母は再度改修され、飛行甲板の幅と長さはさらに伸びた。大幅に拡張されため安定性に欠け、基本的な航海性能は大きな影響を受けた。離着陸については言うまでもない。その後、遠洋航行がほぼ不能になった「鳳翔」は港湾に係留するしかなく、もっぱら艦載機パイロットの訓練に利用された。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年8月28日