日本の名古屋市長による南京大虐殺の否定は、一見、その無知が問題視されているが、実際に露呈したのは戦後の日本における歴史教育の欠如である。歴史観をここまで欠いた教育を受けたものが政界に入り、市長にまでなれる、それは一体何を意味しているのだろうか。
第二次世界大戦は、今や映画や小説、パソコンゲームの中の場面やストーリーに姿を変えるほど、遠い過去の出来事となっている。しかし、残酷非道な大虐殺という獣行や戦争を二度と繰り返さず、人々の心の中に平和の種を根付かせ、開花させ、実を結ばせるためには、完全、精確且つ深みを持った歴史教育が欠かせない。
最近、タイで起こったある出来事によって、再び第二次大戦の歴史教育問題が話題となった。それは、バンコクに新しく作られた大型ショッピングセンターで、Tシャツ専門店がその商品にヒットラーをプリント、更に集客のため、店の前にヒットラーの塑像まで置いたのである。これには、多くの若者が興味を示し、みな次々に塑像前でナチスを真似て敬礼しながら写真を撮っていた。数日前、在タイ・イスラエル大使が偶然そこを通りかかり、その光景を目にするや否や、その店の店主とショッピングセンターの責任者に抗議した。結局店側はヒットラーの塑像撤去を余儀なくされたが、このイスラエル大使の行動は「理解に苦しむ」という感が残る。
このような出来事は、タイでは初めてではなかった。去年、タイ北部のチェンマイで行われた運動会では、中学生たちがあろうことかナチスの衣装と腕章を身につけて出場した。その時、運動会を見に来ていた在チェンマイの数国の領事館外交スタッフは即座に抗議をしたが、その中にはドイツの領事も含まれていた。