ドイツ、イスラエル等の大使館は、ヒットラーの姿になぜこれほどまで警戒するのか。それは、彼らにとって、それが芸術や商業の「ギミック」ではなく、非常に深刻な政治問題だからである。ナチスの本質は人道に反するものであり、ファシズム主義はイコール戦争である。イスラエルはユダヤ人が災いを受けた経験から、この問題を非常に重視しており、ドイツ人の真面目さは、問題に対する反省と教育によるものである。ここで断言できるのは、タイに勤務するドイツの外交官たちが受けてきた教育と、名古屋市長が受けてきた教育はまったく別のものであるということである。彼らにとっては、ナチスやナチスに関わるいかなる「しるし」の起死回生を阻止することも、それが即ち、平和を守ることなのである。
ヨーロッパ勤務の際、ドイツの小中学校の教科書や補助教材を調べたことがある。その中には大虐殺に関する詳しい説明があり、ナチス文書の転載も少なくない。ドイツの友人によれば、教師はよく学生自身に、歴史についての判断や分析をさせ、ファシズム思想の根幹を解析させることで、自身を歴史の一部として認識し、反省するよう指導するのだという。ドイツ人の歴史に対する深い認識は、このような歴史教育があってこそのものである。
名古屋市長がどの程度の歴史的知識を持っているかを測る術はないが、南京大虐殺に対する認識から考えて、その歴史観も同等レベルのものであろう。我々の疑問は、この市長と同様の歴史観を持つ日本の政治家は、あとどのくらい存在するのかということである。これこそ、平和を愛するアジア人の心配の種である。(丁剛 人民日報高級記者)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年2月27日