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(三)交流協力
相互学習の歴史 中日留学史話
内山書店と魯迅
京劇と歌舞伎 梅蘭芳父子と日本
日本から来た『白毛女』
鬼の大松監督と中国女子バレー
中日共通の「手談」囲碁の魅力
大相撲の中国興行
中国史を愛した日本人作家井上靖氏
中日合作映画 『未完の対局』
一服の茶にこめられた平和の願い
中日青年交歓活動
阿波丸の引揚げ作業
日本人の命を救うために
中国の砂漠緑化活動に献身した遠山正瑛教授
ニヤ遺跡にロマンを求める小島康誉氏
日本の対中国ODA
互恵・相互補完性の貿易パートナー
実り豊かな中日農業協力
言葉の架け橋
海を越えた愛
小沢征爾氏のまぶたの中の故里 中国
谷村新司さんと中国の縁
音楽に国境なし
手塚治虫氏と『孫悟空』
ジャッキー・チェンと日本の映画ファン
日本生まれ、中国育ちの「磁娃娃」 福原愛選手
中日友好の未来の担い手である子供たち
中日共通の「手談」囲碁の魅力

1984年、中日両国の囲碁界の協力で中日スーパー囲碁が始まった。その対局方式は、それぞれが主将一人を含む8人の選手を選抜し、団体勝ち抜き戦で勝負を決めるというもので、対局は中日両国の都市で交互に行われていた。

囲碁は唐代に日本に伝わった。記載によると、遣唐使の中には囲碁の学びに来た者もおり、唐の玄宗皇帝も度々日本の僧侶や留学生を囲碁の対局に召したとある。また、日本にも吉備真備が中国で囲碁を打ったという伝説が伝わっている。その後の長い歴史においても、両国の民間による囲碁交流は途絶えることはなかった。

1959年10月、日本自民党顧問の松村謙三氏が訪中団を率いて中国を訪れ、陳毅副総理と会談した。ともに囲碁ファンであった松村謙三氏と陳毅副総理は、以後、中日間の囲碁交流を進めていくことを約束した。その後、陳毅副総理は、日本棋院からは名誉七段の称号を、関西棋院からは七段をそれぞれ授与されている。

やがて陳毅副総理と松村謙三氏の尽力で、1960年に日本棋院の代表団が初めて訪中し、1962年には中国棋院の代表団が初めて日本を訪問した。また1964年には、29人の日本の有名棋士が、800万人の囲碁愛好者に日中国交正常化の署名活動に参加するよう呼びかけている。

両国の国交が正常化すると、囲碁界の交流は日増しに盛んになる。更に中日スーパー囲碁が開催されたことによって、この種の交流活動はブームにまでなった。

1997年までの期間で、中日スーパー囲碁は計11回行われた。対戦成績は中国の7勝4敗である。両国の棋士も互いの国で名前を知られるようになり、中国の聶衛平、馬暁春、劉暁光、曹大元、日本の小林光一、加藤正夫、大竹英雄、依田紀基の各棋士は、両国人民の間でスターのような存在になった。中日両国の囲碁交流を開拓した顧水如、呉清源、陳祖徳、木谷実、藤沢秀行の諸先輩も広く知られるようになり、人々もこの試合を通して、囲碁に関する知識を増やし、囲碁の魅力を知るようになっていった。

1998年以降、中日スーパー囲碁はNECカップ、富士通カップ、応氏カップに引き継がれ、両国囲碁界の友好交流が伝統として確立された。その後、韓国の棋士も参加するようになり、現在、囲碁の対局と交流の範囲は中日韓の三国に拡大されている。

「手談」の古称を持つ囲碁には、深遠な哲理と智慧が秘められている。中日両国人民の共通の趣味であり続けた囲碁は、両国の民間交流を促進する特殊な言語でもある。両国人民が囲碁という特殊な言語で交流するとき、その背景には両国が共有する千年に及ぶ文化交流の歴史が存在する。

加藤正夫主将と対局する聶衛平主将
馬暁春選手が武宮正樹選手と対局
囲碁名人の対局
6歳の鈴木浩志くんが8歳の陳葦ちゃんと対局
「勝敗にかかわらず楽しむ」
日本囲碁代表団は、北京・上海連合チームと友好試合
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