一方で、友人自身にとって電気はあって当たり前のものであり、夜の停電なども経験したことがなかった。買い物の際にレジでバーコードを読み取って価格を計算できるのも電気があってこそ、もし電気がなければそんなことさえできなくなる。今の東京について、そんな些細な一場面からも多少のことが見てとれる。もともと値段の駆け引きもなければ、レジの計算を間違えることもない東京での便利な生活、だか一方でそのぜい弱さがここに表れている。停電は、灯りを点せないのはもちろん、エレベータに乗って帰宅することも、交通手段を利用することも不可能にしてしまう。ちょっとした買い物さえ満足にできなくなるのだ。
至るところで蛍光灯が消されたり外されたりし、お店も早々と閉店するようになった。眩しいばかりの不夜城を誇っていた東京は、今はこうしてその姿を薄暗く変えてしまっている。道行く人々は依然として足早だが、その顔には曇りの表情が見え隠れしている。
1868年から1945年の77年間、日本は封建的な後進国から世界の列強に肩を並べるまでになったが、第二次大戦に再び廃墟と化してしまう。そして1945年から2011年の66年間、その三分の二近くの期間をGDP世界第二位という栄誉ある立場にあり続けた日本。今回の大地震と原発事故によって再び陰りの中にあるこの国は、今一度新しい光を追い求め、自分たちがどこに向かうべきなのかを考えなくてはならない。
心の中に点したその灯りで日本の未来を探し求める――友人はそんな希望を孫娘の“光”に託したのだった。光ちゃんの人生はまだ始まったばかり、自分が生まれた数週間前に日本が大地震と原発事故に襲われたこともまだ知らない。しかし今後生きていく中で、友人が父親から第二次大戦後の灯りへの思いを受け継いだのと同様に、友人自身の思いをもきっと繋いでいってくれるだろう。私たちは日本がそう遠くない将来必ず復興すると信じている。そう、涅槃の鳳凰のように。
光ちゃんに託された友人の希望、それはすべての日本人の願いでもあるだろう。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年5月10日