トラック運転手として採用、フタを開ければ原発の復旧作業者
資料写真:福島県川内村。原発事故の警戒区から戻ってきて、放射能測定検査を待つ男
原発の専門家らによると、日本の原子力発電所は1970年代から盛んに建設されるようになったが、そのメンテナンスや保守作業は日雇い労働者に任せっきりだったという。放射線安全確保のための教育は充分に行なわれず、作業終了後の健康診断もされていなかった。
福島第一原子力発電所の事故発生から1週間の間に、東京電力は大手ゼネコン数社に、復旧作業に従事する人員の派遣を依頼している。こうした下請けの大手ゼネコンからさらに「孫請け」した中小企業600社以上が、各地から臨時労働者をかき集め、福島原発などの復旧作業に送り込んだと言う訳である。
日本最大の労働者街とされる大阪市の釜ヶ崎(あいりん地区)や、福島県いわき市などで集められた臨時労働者は毎日朝早くに大型バスやトラックに乗せられ、各地の原子力発電所に送り込まれる。いわき市でケーキ屋を経営する久住さんは「自分がどんな作業に就かされるのか聞かされますが、多くがその詳細についてよく分かっていないのです」と述べている。
60歳を回ったある臨時労働者は取材に対し自分の体験を述べている:東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県にある企業がトラックの運転手を募集していたため応募したところ採用された。喜んだのも束の間、なんと福島第一原発5号機の冷却作業員として送り込まれた。
取材に対し、実名は出さないことを条件に彼は以下のように述べている:日当は約300米ドルだった。最初に取り決めた2倍の金額だった。作業に就いて4日目にようやく放射線測量計があてがわれた。今は、東京電力に賠償金の請求をしている、とのことだ。
最も危険な作業は外国人労働者にやらせる