最も危険な作業は外国人労働者にやらせる
資料写真:消防士の放射能防止服
今年72歳になる藤井さんは株式会社IHI(旧社名:石川島播磨重工業)で勤務していた頃、数多くの原子力発電所の建設に携わってきた。1997年、退職前の最後の任務として、福島第一原発3号機の炉心隔壁ひび割れの修復に「使命感をもって」望んだという。
その際、電力会社側は、最も危険な作業であったはんだ付け作業を東南アジア、サウジアラビア、米国出身の労働者に任せていた。そのため、それらの外国人労働者の被ばく線量は日本人の作業員よりも高くなった。作業員の積算放射線量は年間20ミリシーベルト(自然放射線量の約10倍)を超えてはならないことが取り決められている。しかし、実際には、数日間で20~25ミリシーベルトの放射線に被曝する外国人労働者は後を絶たなかった。
米国人労働者らが不法な作業環境で働いているのを目の当たりにした藤井さんは、聖書の言葉を抜粋し、やり切れない心情を当時の日記にしたためている:「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない」と。藤井さんは取材に対し、「内部事情を知る人はほんの一握り。でも私は実情を目の当たりにした。だから当時、私は日本の安全(作業)基準に背いたことになる」と述べている。
かつて福島第一原発を含む数々の原子力発電所で現場作業員として潜入したルポライターの堀江邦夫は、その著書「原発ジプシー」においてこのように記している:「会社にとって非正規労働者はただの使い捨ての道具だ」と。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年6月27日