日本経済の救済は表面上、さほど難しいことではないように見える。国主導の経済発展と同時に民間経済の活性化を行うというパターンの有効性は中国がすでに証明済みだ。だが、残念なことに現実はさほど単純ではない。
「中国の民間資本は必至の競争により活路を切り開いたもので、日本の民間は長期にわたり保護されていたので、決まった仕事をすれば衣食を保障されていた。中国は改革で民間活力を放出できたが、日本について言えば改革は安定した環境を破壊するだけだ。だから、中国社会は改革を歓迎し、日本社会は改革に抵抗する。」と袁鋼明氏は説明する。
1990年代、日本はついに、アメリカをモデルとして、アメリカ式自由経済の確立を目指すと決意した。アメリカのプレッシャーの下で改革を進めるのは、盲目とは言わないまでも、慌てなければならない。改革後、日本は成長しない国からマイナス成長の国になった。「失われた10年」が「失われた20年」に延長されることになった。
企業の財務制度改革を進めるため、日本はバブル経済の崩壊で土地の価値が著しく下降した状況において、公正価値計算法を採用して企業資産を計算した。その結果、経済状況がよかった大量の企業も破産の危機に追い込まれた。社会保障制度改革を推進するため、日本政府は日経指数が最高値38957ポイントから9000ポイントまで落ち込んでも、その下降の勢いが反転しない状況において、大量の社会保険基金を市場に投入した。その結果、社会保険基金の価値は急落した。銀行改革を推進するため、日本は多くの破産に直面した大銀行の救済を拒絶し、銀行預金保険制度の取り消した。その結果、広範囲での金融恐慌を引き起こすこととなった。
マクロ経済の悪化に伴い、更に社会の基盤であり重要な就業にも影響が出ている。戦後、継続されていた終身雇用により日本の失業率は2%を超えることなく、西側諸国の自然失業率4%の基準よりずっと低い数値を保ってきた。だが、90年代のバブル崩壊と改革の失敗により、日本の失業率は一気に4.6%にまで切迫した。だがこれは数字だけの問題で、完全に日本社会の失業状況を反映しているとはいえない。サラリーマンの中には仕事をしながら、給料が支払われていない人も大勢いるのだから。