ハガキの表には被災地の状況が、その裏面にはポケットと共に卵や肉、野菜や米などが印刷されている。このハガキを買うことで被災地の人に向けて“自分ができるだけ”の援助ができる仕組みになっている。
「海辺を離れる――言葉にするのは簡単でも実際は違います。海辺で暮らしていた人が街で新しい仕事につき生計をたてることはとても難しいでしょう」
本田さんは言った。そして建築プランが示された大きな冊子を取り出して1ページずつめくって見せてくれた。
「私は明日福島県庁に行きます。北京を拠点に活躍する建築家の迫慶一郎さんと、沿岸地域の復興プランを提出する予定です」
迫建築事務所の構想は、津波の際に人々が短時間で高い場所に逃げることができるような人口島を平野部に複数作るというものだ。3月11日、気象庁が津波警報を出した後多くの人が車で逃げようとした。しかしそのために渋滞が起き、安全な場所にたどり着く前に津波に飲みこまれてしまった。別の方法で迅速に高い建物や安全な高台に逃げることができればより多くの命が助かるだろう。
「原発事故が起きて、“福島”は世界に知られるところとなりました。でも福島に特別な麻素材があることはほんの一部の人しか知らないはずです」
本田さんは細かい縞模様の入った麻布を見せてくれた。地元の麻から織られたその布は独特なデザインと丈夫さが売りで、見る人が見れば福島の特産品であることがわかると言う。
「製品の素材として福島の麻を使ってもらえないかと、いくつかの有名ブランド・メーカーに提案しています。既にジーンズとバッグのメーカーの新作に一部起用されることが決まりました」
福島産の素材を使うことも、企業による被災地支援の一環になっている。
こんなふうに本田さんは様々な策を練る。そしてアイデアを携えて、東京や京都などを訪れ各方面の人に提案をする。すべては故郷福島のために。
「Billion Beats 日本人が見つけた13億分の1の中国人ストーリー」より
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年9月15日