文=奥井禮喜
ペトラルカ(1304〜1374)「ルネサンス書簡集」を読む。
ダンテ、ボッカッチョと並んでイタリア文学三巨星とされる。36歳で桂冠詩人に推される。戦乱多発、野盗横行、伝染病蔓延、厳しく激しく揺れる社会にあって、生涯、イタリアの再生と救いを求めて活動した。
ペトラルカは何よりも自分の生き方を凝視し、自省を忘れず、瞑想、思索を絶やさず、学んで、自己の成長を遂げ、その成果を人々に役立てるという生き方を貫いた。
人々が恐れているが、長年の念願だったヴァントゥ山(嵐の山)に苦労して登頂し、啓示的閃きを得る。
「われらが懸命に努力すべきは地上の高所を足下にすることではなく、地上的なものにかき立てられ膨れ上がった欲望を足下に踏みつけることだ。」
古代ローマのキケロ(BC106〜BC43)を研究し対話を重ねた。美貌の人妻ラウラへの思いを断ち切れず長く苦悩した。アウグスティヌス(354〜430)の生き方に学び、人生の美学の実践に挑戦し続けた。
「魂の他に何ら感嘆すべきものはない。魂の偉大さに比べれば何ものも偉大ではない。」そして、すべてに耐え、何ものをも求めず、自己自身を知るというgenius(天才)の発見、発揮の意義に到達する。
「欲望は恥ずべきだが、高尚なるものへの欲望は恥ずべきではない。」ともいう。その生涯は勉強、また勉強。書物に飽きることがないと書き残した。机に向かい、本にうつ伏してこと切れたそうだ。
人間として、精神を磨く。ペトラルカは詩という作物を創造するために、わが人間性を磨く努力を絶やさなかった。