文=奥井禮喜
「労働と人生についての省察」(邦訳タイトル)は1930年代に書かれた。著者シモーヌ・ヴェイユ(仏 1909〜1943)は、優秀な哲学教師であった。彼女は労働者の境遇に同情して、給与をはたいて労働運動に参加した。
彼女は、真摯な、品位の高い人であった。同情を具体的に役立つ形にするべく行動した。教師の仕事を棄てて、最下層の女子工員になった。仕事は汚く、危険で、ノルマや服務が厳しく、悲惨な低賃金だった。
工場長の命令は絶対である。異議を唱えれば直ちに解雇される。彼女は永久に女工をやろうとしたのではない。労働者の労働を知り、労働者と同じ境遇に自分を置いて、そこから労働運動を性根の入ったものにするために何が必要か体得しようと企てたのである。
仕事は非人間的であった。細分化され、単純化され、労働者は機械の一部と変わらず、ただただ忙しく動き回るしかない。慣れない仕事でとにかく頑張り続ける。自分の仕事がどういう要求に応えるものかまるでわからない。
もっともなんの喜びもないわけではない。とにかくやり遂げて1日終われば達成感があるようだった(!?)。くたくたの日々が続く。貧しい女工たちは「とにかくやる(しかない)」のである。彼女は気づく。
——あきらかに過酷で、容赦しない抑圧(状態)によって、直ちにどういう反動が生じてくるか。それは(状況に対する)反抗ではなく、服従である。(さらに慣れてくると)我慢強い態度ができるようになった。それは服従よりもさらに進んで、何ごともあきらめて受け入れるようになった。——
——貧困、隷属、依存による《毎日の打撃》(という習慣)によって押し付けられる劣等感ほど思考を麻痺させるものはありません。(工場リーダーや労働運動家が)彼らのためになすべき最初のことは、彼らの尊厳の感情を再発見し、場合によっては維持するように助けてやることです。——
——隷属の不滅の要素がある。彼らは必要性によって支配されている。それが《暮らしを立てるために必要だから》という理由に他ならない。——
彼女が自分自身を材料として、思索し、発見したのは(そのような労働生活のなかで)、「耐え難い誘惑は、まったく考えるのを放棄してしまいたい」ことであった。隷属状態が強ければ思考が縮む。