飛騨牛の鉄板焼きはなかなかおいしかった。なんといっても感銘受けたのは村の街道である。大きな村、ざっと90%は山林、村を貫く街道が延々コスモスで飾られていた。天然のものではない、村民が街道に花を育てている。何もない街道、大方は車で走り抜けるだけである。その無償の行為、「おもてなしの心」の奥床しさが鮮烈な印象だった。
わが国は6,852の島からなる。大八島国というがまさしく島国国家である。列島を屋台骨のような山脈が走り、平野はまことに少ない。狭い国土に1.2億人強がひしめき合い、ちまちまとした生活空間に暮らしている。
昨今、少子化高齢社会、人口減少の警告が氾濫する。しかし、明治の入り口で3,300万人だったことを想起すれば、4倍の人口爆発である。資源小国である。連日、経済活動の活性化を喧伝する声が絶えない。にもかかわらず唯一潤沢な《資源》としての人に対する関心が希薄ではなかろうか。
「町おこし」が人々の口の端に乗るようになったのは1970年代である。コミュニティとは、単なる地域社会でなく、人々が相互に関わりあいを大切にする自治の意味である。だから、さまざまなコミュニティがある。
1960年代には、「(日本の)経済は20世紀、社会は19世紀、政治は18世紀」という痛烈な諷刺が使われた。その含意はいまもなお見捨てがたい。いろいろあっても経済(会社)コミュニティがもっとも機能している。
問題はコミュニティの質が向上しつつあるのかどうか。戦前社会にはコミュニティは存在しない。なぜならコミュニティを形成する人が、自由・独立・自治の人でない。基本的人権を持ち合わせていなかったからである。
戦後はかたじけなくも民主主義社会に衣替えし、コミュニティの制度的基盤はできた。個人の尊厳こそがヒューマニズムであり、自由・独立・自治の人こそがコミュニティを盛んにする(はずであった)。
戦後70年近く会社コミュニティのキーワードは結局「憲法よりメシ」であり、その意味では明治を通り越してさらに昔に戻っても本質的には何ら変わりがない。コミュニティとは民主であることを銘記せねばならない。
わが国には、西洋のように「都市が人を作る」という思想がない。体験的に「会社が人を作る」という言葉は当てはまりそうだ。社内民主主義が発展しつつあるのだろうか。もしそうでなければ、会社人間の多いわが社会のことだから、全体の民主主義も停滞していると言わざるをえないではないか。
奥井禮喜氏のプロフィール
有限会社ライフビジョン代表取締役
経営労働評論家
日本労働ペンクラブ会員
OnLineJournalライフビジョン発行人
週刊RO通信発行人
ライフビジョン学会顧問 ユニオンアカデミー事務局
1976年 三菱電機労組中執時代に日本初の人生設計セミナー開催。
1982年 独立し、人と組織の元気を開発するライフビジョン理論で、個人の老後問題から余暇、自由時間、政治、社会を論ずる。
1985年 月刊ライフビジョン(現在のOnLineJournalライフビジョン)創刊。
1993年 『連帯する自我』をキーワードにライフビジョン学会を組織。
2002年 大衆運動の理論的拠点としてのユニオンアカデミー旗上げ。
講演、執筆、コンサルテーション、インターネットを使った「メール通信教育」などでオピニオンを展開し、現在に至る。
高齢・障害者雇用支援機構の「エルダー」にコラム連載中。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年6月13日