日本の市民文化が中国をリードしているのは、日本が中国よりも1世紀以上早く近代化したことに関係する。かつての日本の市民文化水準は低く、19世紀末と20世紀初頭に日本を訪れた多くの外国人がこの点を指摘している。かつて日本で25年間暮らした米国の宣教師シンディーガリック(SidneyGulick)が、著書『日本人の変遷』(1903年出版)の中でこう述べている。「多くの日本人のイメージは、怠慢で時間が過ぎ去っていくのをまったく気に留めない。」今日の日本人のイメージとはかけ離れている。
社会発展の流れから見ると、どの国の市民文化も段階的に向上していくプロセスを経ている。日本は明治維新から、まず全国民の識字教育を実現し、同時に政府は大規模な礼儀教育を実施し、これを続けてきた結果が今日の水準なのだ。中国は近代化事業を後になってから進めた国。短い30年間の内に、我々は一国家を近代化時代へと引き込み、数億という農業従事者を都市へとかり出し、ひいてはポスト近代化社会へと引き込んだ。西洋が2、3百年間かけて歩んだ道のりを、日本が百年以上かけて歩んだ道のりを30年に濃縮したのだ。しかし、ハードウェアが日本に追いつき、追い越せたとしても、(それ自体も大きな成果だが、)市民文化の水準は一朝一夕に追いつくことはできない。市民文化の育成にはまだまだ多くの時間と教育への取り組みが必要だ。
もちろん、市民文化が脆弱であっても、その他の面も脆弱であるとは限らない。勤勉、素朴、向上心、聡明、楽観的、平和といった一般市民の素質は世界でも上位に位置するが、市民文化の育成に今後より一層力を入れていかなければならない。中国の都市化の急速な進展にともない、並んで待つ、無理な横断をしない、クラクションをむやみに鳴らさないなど、どんな些細なことからでも、1年にたった1つのことからでも、政府と社会が力を合わせて着手していかなければならない。良い社会習慣が養われれば、その地の社会気風や生活の質が一新され、人々の心が和み、強い結束力が生まれ、その地に誇りを持てる暮らしができるようになってくるのではないだろうか。
いずれにしても、全面的に、そして歴史的に問題点を把握できれば、中、日のパワーバランス、変遷の流れと問題が浮き彫りになり、自らが模索する成功の道をより強い信念をもって進むことができ、次なる栄光へと続いていくだろう。(作者は復旦大学特別教授、兼上海社会科学院中国学研究所所長)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年8月6日