2013年ノーベル文学賞が先日発表され、注目を集めていた日本の有名作家である村上春樹は受賞を逃した。今年こそ日本人のノーベル賞受賞者はなかったものの、1949年に湯川秀樹がノーベル物理学を受賞して以来、日本は今日まで合計18個のノーベル賞を受賞している。この内、物理学賞が7人で江崎玲於奈が1957年に新型半導体の発明で直接生産に応用されていることを除けば、他の6人はすべて理論物理学分野ですばらしい功績を残している。なぜ日本はここ60年余りでこのように多くのノーベル賞を量産できたのか。このことについて、人民網日本語版は、中国人経済学者(日本千葉大学経済学博士)の李仲生教授に単独取材を行った。李教授によれば、この成果は日本独自の科学技術戦略、科学技術界の精神の継承、科学者の必死の努力とチームワーク及び社会的な地位など様々な要素が密接に関係して勝ち取られたものだという。人民網が伝えた。
李教授の解説は以下の通り。
日本の科学技術戦略は独特で、そのモデルは米国や欧米の大部分の先進国とは一線を画している。一般的には、科学技術を生産性に転換するに当たり、「基礎研究から応用研究にいたり、そこから開発研究にいたる」という長い長い過程を経るものだ。米国や旧ソ連、欧州の先進国は、すべてこのモデルで科学技術先進国になってきた。だが、日本は相対的に科学技術後進国だったところから、世界の先端レベルに早く追いつこうとそれとは反対の方法をとった。それはすなわち「研究開発から始め、そこから応用研究にさかのぼり、最終的に基礎研究を深化する」という策略だ。そして明らかな成功を獲得し、この方法で多くのノーベル賞受賞科学者を生み出したのだ。
日本の基礎研究については、日本の科学者が注目すべき成果を上げていることは決して偶然ではない。日本人科学者は、1998年にはニュートリノの静止質量を発見、2001年には宇宙に「パリティ対称性の破れ」現象が存在する有力な証拠を見つけ、クローン牛技術はほとんど実用化レベルに達し、現在は世界最速のスーパーコンピュータで「宇宙シミュレーター」が研究されている。この他、日本のナノや新材料技術などの分野でも世界トップレベルだ。バイオテクノロジー、ライフサイエンス、情報通信、航空宇宙、機械、環境、材料分野、エネルギー技術などでも目覚ましい成果を上げている。
だからこそ、日本は戦後ノーベル賞受賞者を陸続と輩出できたのだ。その主な理由の一つが、日本の科学者の視野の広さと国際交流を重視している点だ。例えば、1987年ノーベル生理学賞と医学賞を受賞した利根川進は、米国マサチューセッツ工科大学の教授で、彼の成果はすべて米国にあるラボで得られたものだ。2000年に化学賞を受賞した白川英樹と2001年に同じく化学賞を受賞した野依良治は、ともに米国の大学で学び、それぞれの研究分野の最新動向を理解している。しかも一流の実験条件が日本の科学者には確実に保証されている。特に物理学、化学、ライフサイエンスなど特別に実験が重視される学科については、一流の実験条件が極めて必要で、時に決定的でさえある。2001年、野依良治が受賞した後、日本政府は実験施設を備えた最先端の研究センターを建設するために、7000万ドルを提供した。日本はまさにその精巧な加工技術と重厚な産業インフラにより、科学者がイノベーションを研究するために世界一流の条件を提供しているのだ。