中国侵略日本軍の家族宛の手紙 「暴行は見るに耐えないもの」

中国侵略日本軍の家族宛の手紙 「暴行は見るに耐えないもの」。 趙玉潔氏は、「中国侵略日本軍の視点から日本軍の暴行をとらえたものであり、侵略者の犯罪行為を告発するうえで最も説得力がある証拠だ」と話した…

タグ: 日本軍 暴行

発信時間: 2014-01-14 14:28:32 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

1938年3月12日、日本軍の華中の荻洲部隊に隷属した渡辺徳右衛門は、新潟県西頸城郡上早川村に住む関原草苗に宛てた手紙に「2月6日に私がいる中隊は警備し、付近には1万人近い敵が残っている。かわいそうなのは現地の庶民である。皆殺しの命令を受けたため、子どもに少し同情の気持ちはあったが、涙をため、殺害した数も少なくない」と記した。

1940年、牡丹江鉄道局東寧特輸の植田益夫は、京都府中京区王生溯田町36号に住む古川次郎に宛てた手紙に、「この部落(東寧街)から道1本離れた場所に肉体労働者の死骸が多く散在し、道路と街中にもある。ここから道3本離れた場所にある干上がった小川には、12体ほどの肉体労働者の死骸と箱に詰められた死体がごちゃごちゃと置かれ、野良犬がそれらを少しも残すことなくかじっている」と記した。

1938年6月8日、奉天工藤部隊に隷属した木村鎮雄は、神奈川県金沢市に住む妻の木村美代子に宛てた手紙に「国境方面の同僚はロシア人に代わって見張りに立ち、毎日強姦事件があると聞いた。同僚は地理と言葉から強姦されたのは全て満州の女性であると判断した。日夜に関わらず強姦が行われ、多くの女性が数百人の男に強姦されている」と記した。

これらの資料は、吉林省公文書館が保管する10万件以上の中国侵略日本軍が残した資料の中から見つかったものである、90%が日本語の記録で、日本軍が撤退時に焼却しきれなかった資料をまとめたものであり、日本軍が中国で犯した様々な犯罪行為を記録している。

吉林省公文書館の尹懐館長は、「吉林省公文書館はこれらの手紙の内容の翻訳、解読をさらに行い、中国侵略日本軍の暴行を示す更に多くの手紙が見つかるだろう」と話した。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年1月14日

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