中国東北地区で、朱小八と呼ばれる当時12歳の児童労働者が、第二次世界大戦中に中国を侵略した日本軍に徴用された。幸運なことに、彼は逃走に成功した。
吉林省档案館(資料館)でこのほど公開された、第二次世界大戦中に日本軍が残した資料によると、日本の侵略者は中国の多くの労働者を強制的に徴用し、牛馬のようにこき使い、残酷な仕打ちをしていたことが明らかになった。
これらの資料は主に、関東憲兵隊司令部および偽満州時代の資料で、337枚の記録と2冊の資料が含まれる。これらの資料には、日本の侵略者の労働者に対する残酷な略奪・圧政・鎮圧の罪状が記載されている。感電死した労働者の写真や、労働証明書などもある。
当時12歳だった朱小八の名前も、労働者の逃走者リストに記載されている。
その内容によると、労働者を徴収した日本軍の部隊は76個に、憲兵分隊・分遣隊は8個に達する。また日本と偽満州区の企業の少なくとも63社が関与しており、そのうちの多くが日本企業(日本の建築大手の清水建設株式会社、南満州鉄道株式会社に所属する昭和製鋼所など)だった。
1943年8月2日に斉斉哈爾(チチハル)憲兵隊が関東憲兵隊司令部に提出した「斉憲高第三〇七号」文書には、斉斉哈爾の満州第983部隊が強制的に徴用した1300人の労働者のことが記載されている。
吉林省档案館歴史档案管理所の趙玉潔所長は、「偽満州当局、関東軍の各軍隊による、労働者の捜査・指名手配・逮捕・死刑に関する件が、資料の中に多く記載されている」と指摘した。
「延憲高第三六八号」の「五家子軍事施工中の労働者の使用状況に関する報告」などの文書には、労働者の到着・死亡・病気などの情報が詳細に記載されている。「奉憲高第三四六号」の「乱石山軍事施工における労働者の逃亡事件に関する報告」などの文書は、一部の軍事設備の工事に参加した労働者が、食糧と衣服が不足し厳しい管理を受けながら、逃亡・ストライキ・暴動を始めたことが記録されている。
資料によると、逃亡もしくは武装暴動などの反抗により、関東憲兵隊に氏名が登録された「特殊労働者」は221人、一般労働者は622人に達する。
趙所長は、「『関東軍の特殊労働者の処理に関する規定』によると、日本軍は極秘の軍事設備の工事において、いわゆる特殊労働者・補助労働者を鉄条網で隔離し、拘禁・監視するなどの厳しい管理措置を採用した」と語った。
資料によると、関東軍は駐華北日本軍から移されてきた、軍用労働者にされた捕虜・投降兵を「特種労働者」と呼んだ。日本軍の開設した訓練期間での「訓練」を終え、偽満州国に管理を委譲された華北蒙疆地区からの捕虜・投降兵を、「補助労働者」と呼んだ。
吉林省档案館の尹懐館長は、「この一部の資料は、偽満州国時代の中国人労働者が迫害を受けた史実を全面的に反映しており、日本の侵略者が中国東北地区で犯した罪を暴露する有力な証拠だ」と述べた。
吉林省档案館には10万枚(冊)の、中国を侵略した日本軍に関する世界で唯一の資料が多く保存されており、1931−1945年に日本軍が中国東北地区を支配した時期の各種情報が記録されている。日本が投降を宣言すると、日本軍はこれらの資料を数日間に渡り焼却処分したが、すべてを焼き尽くすには至らず、残された資料を地下に埋めた。吉林省は1950年の工事中に、これらの資料を発見した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年1月13日
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年1月13日