[二]レベルシステム開発の動機
筆者が大学で中国語を学んだ昭和40年代の中国語教育では、現代中国語を話し言葉と書き言葉(ここでは特に「論説体」を指す)に分けて、その違いを明確に提示して教える授業はほとんどなかったといってよい。したがって、学生は“您好”“多少钱”などという初歩的な会話表現や会話文を学んだ後、すぐに人民日報などの文を与えられ、特に話し言葉との違いを喚起されることもなく学習していった。
英語においては既に時事英語というものが1つのジャンルとして確立されていたが、当時なお中国語にその影響が及ぶことはなかった。
したがって、学生は両者の区別をほぼ意識せず混合されたまま習得することにより、TPOによる使い分けができず、論説体的表現とかなりオーバーラップする公式スピーチの通訳などでラフな口語表現を使ってしまい、結果として大恥をかくケースが後を絶たなかった。
筆者もまた80年代初頭に当時の総理府の訪中団に同行し、その面での勉強不足を痛感した1人であった。その経験から、中国語教員たるものの責任として「何としても教室で学生にその違いをはっきり教えなければならぬ」という認識を持つようになり、レベルシステム開発の動機へとつながったのである。
とは言うものの、それまでの論説体教育といえば単なる講読形式しかなく、いったいどういう教材を開発したらいいのか、当初は全く五里霧中であった。
[三]学習システムの開発へ
1)センテンスヘの分解
文章をそのまま学生に配布して頭から読解していくというやり方を変えようとすると、当然のこととして、ばらばらの文に分解してまずセンテンスの読解から、ということになる。この時点から難問にぶつかった。学生時代、恩師のに質問に行くと必ず「前後の文章を見せたまえ。中国語は前後とのつながりがわからないと意味が確定しない場合が多い」と言われた。「先生ほどの学識を持ってもこの慎重さが必要なのか」と内心驚いたことを今も鮮明に思い出す。これに関しては単にテンスの問題に限らず、具体的な意味内容にまで波及することが珍しくないことも周知の事実である。その中国文をセンテンスだけ切り取って与えることのリスクをどうするか、というのが最初の問題であった。
中国語の最大の特徴の1つは意合法にあるといってよい。
日本語では;
「私は腹が減った。しかし金がない。ところがあなたはお金を持っている。だから,もしあなたが私と一緒に食事に行って,おごってくれるなら,私はとても幸せだ」
と言う。
中国語はこうは言わない。こんな短いフレーズの接続は、おのずと意味の流れから汲み取ればいいので、いちいち接続詞を入れれば却ってくどい文章になってしまう。だから、中国人はこういった文を日本語で言うとき、中国語の語感そのままに接続詞を省略し、ついでに面倒くさい日本語の助詞も省略する。
「私、腹減った。金ない。あんた金ある。一緒食べ行く、あんたおごる、私幸せ」
この点から考えると、中国語ではまずフレーズとフレーズのつながり方を読み取ることが非常に重要になってくる。文と文とのつながりはその延長上にある。そこで文を選び出すときに細心の注意を払うことを前提に、センテンスの切り取りを断行することにした。
その後30数年問の実践の中で、前後がないと確定しにくい文をうっかり出題してしまった例が皆無とは言えなかったが、大きな問題としてクローズアップされることはなかった。