奥井禮喜氏:リセット論の愚

奥井禮喜氏:リセット論の愚。 報道は、いったい人々の理性に働きかけるものであるか。情緒的なものが相変わらず多い。言葉は情緒的な修飾語(あるいは修飾的誇張)から腐るという鉄則を報道関係者は胆に銘じなければならない…

タグ: 奥井禮喜  報道 新聞 明治政府 

発信時間: 2012-03-27 11:32:31 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

なぜなら突き詰めれば自由主義は王政復古の《精神》と対立するからである。自由の精神は、人間すべてに平等に自由が付与されているという意味であって《臣民的》自由ではありえない。自由民権運動の自由が席巻すれば、維新政府は土台がぐらつく。それゆえ大いに弾圧した。

日露戦争終了から第一次世界大戦後(1905〜1925)、自由と民主の大波がわが国にもなだれ込んだ。そこで登場するのがいわゆる大正デモクラシーである。その旗手たる吉野作造(1878〜1933)は《民本主義》(民主主義)において、主権の所在に(あえて触れず)運用の民主化を主張した。

長谷川如是閑(1875〜1969)は、大正デモクラシーを「女性の少数が西洋白粉を顔に塗ったようなもの」だと例えて、一握りのインテリの所産だと酷評した。これはまったく理由がないことではない。

たとえば明治政府下の自由思想弾圧下にあって、平塚らいてう(1886〜1971)らは女性だけの雑誌《青鞜》において、自由を外界の圧迫や拘束から脱するだけではなく、「(各人が自分の)潜める天才・能力を発揮する」にありとして、個人の発展の妨害となるものと断固対決していくことこそが真の自由であり、民主主義の精神だという主張を展開していた。

大正デモクラシーが普選獲得運動に収れんし、個人の自由な精神を高く掲げるという段階に及ばなかったのが、「内に立憲主義・外に帝国主義」という壁を破られなかった最大の理由であろう。

戦後民主主義の思想は、いわば《与えられた進歩》である。外的抑圧・拘束からの解放であっても、自分の進歩ではない。いま、政治状況変革を唱える声は少なくないが、ガラガラポンやリセット論の《お手軽変革》に舞い上がるようでは、とてもじゃないが、またまた同じ愚の繰り返しになるのみだ。

奥井禮喜氏のプロフィール

有限会社ライフビジョン代表取締役

経営労働評論家

日本労働ペンクラブ会員

OnLineJournalライフビジョン発行人

週刊RO通信発行人

ライフビジョン学会顧問  ユニオンアカデミー事務局

1976年 三菱電機労組中執時代に日本初の人生設計セミナー開催。

1982年 独立し、人と組織の元気を開発するライフビジョン理論で、個人の老後問題から余暇、自由時間、政治、社会を論ずる。

1985年 月刊ライフビジョン(現在のOnLineJournalライフビジョン)創刊。

1993年 『連帯する自我』をキーワードにライフビジョン学会を組織。

2002年 大衆運動の理論的拠点としてのユニオンアカデミー旗上げ。

講演、執筆、コンサルテーション、インターネットを使った「メール通信教育」などでオピニオンを展開し、現在に至る。

高齢・障害者雇用支援機構の「エルダー」にコラム連載中。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年3月27日

 

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