奥井禮喜氏:いじめられていない君たちへ

奥井禮喜氏:いじめられていない君たちへ。 朝日新聞は「いじめられている君へ」というシリーズを展開中だ。この企画の意図は、いじめられている人が思いつめて最悪の選択をしないように、なんらかの気づきを与え、励まそうとするのであろう…

タグ: 奥井禮喜 登校 いじめ 電車 子ども 社会 朝日新聞

発信時間: 2012-08-07 13:35:40 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

なるほど緊急避難としては、三十六計逃げるにしかず。ではあるが、悪さをしているのでもない自分が逃げなければならないという理不尽をどうしてくれるのか。まして大人社会のいじめにおいては、逃げたくても逃げられない。生活のためである。いじめは天災ではない、人災である。

偶然迷い込んだのが百鬼夜行する森で、外へ出れば太陽燦々、生気満ち溢れる理想郷あり、なんてことにはならない。「てんでんこ」論にはとてもじゃないが付き合いたくない。

なぜなら、いじめは個人間の問題ではなく、社会的問題として考えねばならないからだ。われわれの社会において発生しているのである。

なるほどいじめをするのは無知蒙昧の連中だ。しかし、人間は社会的動物である。群れで暮らしているのである。そこには社会の「約束」というものがあるではないか。無知蒙昧だからといって許せることではない。

逆にいえば、いじめは麗しき社会の「約束」が破壊されているのであるから、これを無視してはならない。「いじめられている君」を激励して片付く問題ではない。いじめは反社会的・反民主主義的蛮行である。

「てんでんこ」では「いじめられている君」は相変わらず孤立、孤軍奮闘である。誰かが孤立して苦悩していても、自分は安全圏にいて「われ関せず」という社会的気風がいじめ発生の背景にあるのではないのか。「いじめられていない君たちへ」という視点こそが必要だ。

どんな制度を作ろうと、そこで思索し行動する人々が「まとも」でなければ何も変わらない。さらに、いじめは極論すれば(たまたま知らなかったとしても)周辺の人がすべて関係者であることは否定できない。

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