日本人は「被爆者」という、原爆投下の生存者を指す言葉を生み出した。毎年の原爆記念日に、広島と長崎では死者を哀悼するため、大規模な記念活動が開かれる。安倍首相本人も初就任時に、これらの記念式典に複数回出席し、歴史を忘れないよう人々に呼びかけた。
しかしながら「被害」に関する歴史を忘れぬ安倍首相は、ミャンマーの墓地でかつての侵略者に敬意を表した。安倍首相が隣国の気持ちを顧みず、第二次世界大戦のA級侵犯が祀られている靖国神社に供え物を奉納し、国際社会を呆れさせる「侵略無定義論」を口にした時、我々は「安倍首相は選択的な記憶喪失を患った」という結論を下すしかない。
1986年にノーベル平和賞を受賞した米国人作家のエリー・ウィーゼル氏は、「虐殺を忘れることは、二度目の虐殺だ」と指摘したが、これは第二次世界大戦の侵略者にとって深刻な警句である。
歴史はすでに人々に対して、次のことをはっきりと教えている。日本は戦争を仕掛けたことで悲痛な代価を支払ったが、同様に戦後に「平和憲法」を履行し発展・繁栄の道を歩んだことで、日本国民に福利をもたらした。そして現在の世界を見渡すと、平和・安全の新秩序はすでに各国の決意と共通認識になっており、これに逆らおうとするいかなる流れも失敗が決まっている。
日本の一部政治家による、本国の歴史に対する「選択的記憶喪失」について、日本とアジア諸国の人々は強い警戒を維持するべきだ。なぜなら原爆によるさまざまな被害を描写し記憶するだけでは、戦争の再発を真の意味では防止できないからだ。あのおぞましい侵略の歴史を直面し、深刻かつ徹底的な反省をすることこそが、日本とアジアの幸福である。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年5月27日