人と人の交流、相互理解で重要になるのは、相手の身になって考え、人と人との共感を見つけることだ。
日本人作家の吉村昭はかつて、相手の身になり考える話を書いたことがある。日露戦争中、日本の海岸で村民が3人のロシア海軍兵士の遺体を引き揚げた。当時は敵国の関係であったが、人々は異郷で命を落とし、海に葬られた軍人のために同情の涙を流した。村民はロシア兵の遺体を埋め、石碑を立てた。この行為は敵に対する憎しみの気持ちを超えており、相手の身になり考えた、人道に基づく共感によるものだ。
今の日本は中国や韓国を見る時に、この相手の身になる態度を失いつつある。一部の日本の政治家は相手の気持ちをまったく考えず、独断専行をし、さらに相手が自分を理解しないと批判ばかりしている。
日本の一部の識者は、今の日本人の一部は常に加害者意識ではなく、強い被害者意識を持っていると指摘している。日本政府は意図的に敗戦と終戦の概念を混同し、国民全体に責任がある、戦争には忍耐が必要といった観念を宣伝してばかりいるが、これは上述した意識の根源になっている。戦争責任を徹底追及しないばかりか、曖昧なやり方により歴史に目を向けている。日中国交正常化の当時、時の田中角栄首相が、日本が戦争で中国人に迷惑をかけたと簡単に触れたことを想起せざるを得ない。田中角栄の発言の原稿を作った橋本恕は、「日本は米国に負けたのであり、中国に負けたのではない」と述べた。これは一部の日本人の考えを代表している。
米国が1945年に実施した東京大空襲により、筆者は両親と姉を失った。私は米軍機の無差別・非人道的な爆撃を批判し、今は亡き家族への思いを表現することができるが、後世の人々に米軍が当時空襲を仕掛けた原因を教えるべきだ。盲目的に他人を恨み、その原因を追及しなければ、私たちの目は覆い隠され、日本が戦争を発動したことにより記録された、人類の歴史における最も暗い1ページを見ることができなくなる。私たちは「南京大虐殺は捏造」、「東京大空襲は米軍が犯した大虐殺」と声高らかに叫ぶ人間の仕掛けた、認識の罠にかかってしまうだろう。
最近、中国の友人から手紙を受け取った。彼女は手紙の中で、最近ようやく願いを叶え、年老いた両親を自分の団地に迎えることができたと教えてくれた。彼女が私に伝えたのは、日常生活における人倫の温かみであり、私は両国の国民の、高齢者を敬い家族を愛する文化の近さを感じ取った。多くの気持ちは、共通のものであるはずだ。相手の身になり理解し合えば、日中関係は新たな春を迎えるだろう。(筆者:三宝政美 富山大学名誉教授)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年7月19日