上述の中国製造業関係者は鉄鋼産業を例に取り、日本の企業精神が傾いた原因には、経営陣の「自信」と中間管理職の「憂慮」との乖離もあると指摘する。「日本の鉄鋼メーカーは多くの設備が古くなり、製品に対する最新の要求を満たせないケースが増えていた。太平洋戦争では、米国の武器の方がはるかに進んでいたにもかかわらず、日本は、闘志さえあれば必ず勝てると信じていた。それと同様、日本企業の経営陣は、自分たちの製品は世界最高水準にあり、設備の不足は技術と経験でカバーできると考え続けた。中間管理職から設備の更新を求められても、経営陣は取り合わなかった。設備が顧客のニーズを満たせなければ、顧客を失うことにつながる。上に対しても下に対しても釈明できなくなった中間管理職は『柔軟な処理』を迫られ、最終的には大きな問題を生むことになった」
加藤氏によると、日本企業の社員は普通、「企業精神」は特に意識せず、「製品を真剣に作る」ことを考える。問題を発見したら上司に報告するが、責任を負うことを恐れる中間管理職は、経営陣に状況を説明した後の「連鎖反応」をまず考える。解決策がなければ、経営陣に釈明できない。顧客に対しては、期日通りに納品できず、注文を失い、違約金を支払わなければならないリスクがある。そのため「できるものなら隠蔽してしまえ」ということになる。「全課の責任を負う課長(日本企業の中間管理職)は、責任感が強く、企業内で最もエネルギッシュに活躍しているのは彼らと言える。課長らは、細かい事柄にこだわることなく、大局や全局から出発し、会社の状況を把握するのでなければならない」。エズラ・ヴォーゲルがその書の中で描写した日本企業の中間管理職の姿は、上述の中日両国の企業関係者が語る管理職の態度とはすでにかけ離れている。
常態
加藤氏は『環球時報』記者に対し、日本の製造する製品が本当に劣化しているとは考えないと指摘する。ただ次々と明らかになるスキャンダルは、日本企業の「精神」をますます不確かなものとしている。「日本では大企業でさえこうなのだから、ほかの企業がどうなのか知れたものではない」と人びとが考え始めれば、日本企業に対する信頼はますます失われる」。