日本のチップ産業の発展、中国にとっての教訓とは?

日本のチップ産業の発展、中国にとっての教訓とは?。日本は20世紀に台頭した世界の電子製品大国であり、チップ及び半導体をめぐり米国との蜜月期、圧力を受ける時期、復興の時期を経ている。この各段階を分析することで、我々は多くの教訓を得ることができる…

タグ:チップ 産業 発展 製造 半導体

発信時間:2019-07-03 11:09:24 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 日本は20世紀に台頭した世界の電子製品大国であり、チップ及び半導体をめぐり米国との蜜月期、圧力を受ける時期、復興の時期を経ている。この各段階を分析することで、我々は多くの教訓を得ることができる。(筆者・馮昭奎 中国社会科学院名誉学部委員、中国中日関係史学会顧問)


 日本の同盟国である米国は1950年代、日本へのハイテク輸出に非常に積極的だった。これを背景とし、日立や東芝などは米国からトランジスタ技術を導入した。そのうち当時の従業員数が7、8人のみの小企業「東京通信研究所」(1958年に「ソニー」に改名)も通産省を通じ米国からトランジスタ技術を導入し、1955年にトランジスタラジオを開発した。この真空管ラジオよりも電力消費量が少なくコンパクトなラジオは飛ぶように売れた。市場の旺盛な需要を満たすため、ラジオなどの電子消費財を大量生産したことで、「中間品」であるトランジスタが大量生産された。日本のトランジスタ年間生産量は1960年に1億個に達し、2年連続で米国を上回った。


 日本企業がトランジスタで大衆的な消費財を製造する一方、米国の半導体メーカーは主に軍需品に必要なトランジスタを提供していた。ところが軍の需要は民間の需要に遠く及ばなかった。大衆化消費財として大規模な市場を持つラジオなどの民間電子消費財は、トランジスタ産業を軍需よりも強くけん引した。これは日本のトランジスタの生産量が直ちに米国を上回った重要な原因だ。


 1950年代後半になると、米国は軍事の需要により集積回路(IC、「チップ」とも呼ばれる)の開発に成功した。日本の半導体メーカーは米国のIC技術を猛追した。米国のトランジスタ技術を追い抜いた経験があるため、日本人は新技術の発展の前途は「使うこと」で決まることを深く認識した。ICはトランジスタと同様、市場を直接見据える大衆消費財ではなかった。そのためICを「間接的」に使用することで、一般消費者が直接使用できる最終製品を製造する必要があった。また市場はこのような製品に対して非常に大きな需要を持っていた。


 カシオは1972年に世界初のチップ搭載のパーソナル電卓を発売した。これはすぐに人気商品になり、電卓の大衆化、「個人用品化」の流れを作った。日本では電卓が外国よりも歓迎された。これは日本の多くの専業主婦が細かく家計簿をつける習慣があるためで、電卓がいつでも携帯できる道具になった。日本の電子企業が電卓という大衆的で個人的な新製品に進出するに伴い、ICチップの旺盛な需要が生まれた。これは日本のチップ産業の飛躍を力強く推進した。

 

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