中国サッカーを論ずる際、隣国日本とよく比べる。両国のサッカーリーグは、1990年代の同じ頃発足し、同じように未来予想図が描かれていた。ところが、20年がすぎた今、中国サッカーは日本に突き放されるばかりだ。
Jリーグの創始者の1人・川淵三郎氏は5日、北京で行なわれた中国サッカー発展フォーラムの席上で、日本サッカーが歩んだ道を紹介した。川淵氏が最も重視しているのは、青少年サッカー人口の育成である。「かつてサッカーに興味をもっていなかった日本の青少年は今、Jリーグに入り、プロ選手となり、ヨーロッパで活躍することを夢見るようになった。そして、サッカー日本代表が子供たちの最高の夢となっている」と彼は話す。
ところが、中国サッカー協会に登録している13歳―19歳の青少年選手はわずか3000人、学校のサッカーチームに入る学生を加えても、たった10万人に過ぎない。日本の青少年サッカー選手はすでに60万人を超えている。こうした大きな格差をみると、中国サッカーの将来を心配せずにはいられない。
川淵氏は、1960、70年代、日本ではサッカーに熱中する青少年は珍しく、当時の中国とは比べ物にならないほどだったと振り返り、「二つの契機で状況が徹底的に逆転した」という。一つは、1978年、サッカーが学校の体育で正式項目となり、生徒に喜んで受け入れられたこと。もう一つは、1981年、漫画「キャプテン翼」が大ヒットし、青少年の中でサッカーファンが爆発に増えたことだ。