「不惑の年」を迎える中日関係

「不惑の年」を迎える中日関係。 中国に「四十にして惑わず」という古言があり、四十歳は知性が成熟する年齢だという意味だ。今年、中日国交正常化から四十年目に入り、われわれは「不惑の年」を迎える中日関係をどのように評価するか、また中日両国の交流によって獲得した成果、直面している諸問題をどのように見るか…

タグ: 中日関係 中日友好21世紀委員会 唐家璇、葉小文、周明偉、魏家福、薛偉

発信時間: 2012-04-13 15:03:30 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

文化交流を通じて親近感

周 現在、中日経済は相互依存、相互補完の関係にあります。中日両国の文化交流にも特色があります。両国の長い歴史、伝統を持つ文化で互いに師事し、互いに敬慕し、価値観にも多くの共通点があります。それによって、文化交流も中日関係を推進する原動力の一部になっています。長い間、中日間の仏教交流に尽力されてきた葉委員はこの分野についてお考えがおありだと思いますが。

葉小文委員 私は二十年間青年関係業務に、また二十年間宗教関係業務に携わってきましたが、この両分野で身をもって感じたことをお話ししたいと思います。

まず、両国の仏教交流についてお話ししましょう。私は仏教交流が政治を超越し、時空を超越することができることを身をもって感じました。なぜなら、それは共通の信仰を通じて、代々受け継がれ育まれてきた歴史だからです。また、それは偉大な精神が貫き凝縮した歴史、多くの偉大な人物が先人の後を受けて新しく発展する端緒を開き形成してきた歴史、多くの友好人士たちのたゆまぬ努力を通じて編まれてきた歴史だからです。私たちは鑑真和上が六度に及ぶさまざまな困難を乗り越えて日本に渡ったことを知っています。その時、彼の目はすでに不自由になっていました。私たちは鑑真精神を学ぶべきです。

私の恩師である趙樸初氏は仏教居士でした。私が国家宗教管理局局長の時に、趙氏は何度か私に日本を訪問するように言いました。当時、私は「行きません」と答えました。それ以前、私が日本人に抱いていたのは中国に対する「侵略者ども」というイメージで、少しも好感を持っていなかったからです。すると趙氏は私を海南島に連れて行き、ある物語を聞かせたのです。それはこういう話でした。海南島には鹿回頭と呼ばれる場所があります。昔、ある少年が一頭の鹿を追っていたところ、鹿は振り返り美女になり、少年は彼女を愛し二人は夫婦になったというのです。彼はこう言いました。以前、彼が弘一大師(李叔同)に日本行きを要請したところ大師はこれを拒絶し、「海水はすでに日本人によって赤い血の色に染められてしまっている」と話したそうです。ところが、現在では趙氏らは障害を乗り越えて再度日本に赴き、中日仏教交流を通して、新たに中日の友好を取り戻したのだと、話してくれました。趙氏のこの話は私を感動させ、私は一行を率いて日本を訪問することにしました。その結果、日本人はとても歓迎してくれました。私たちが訪問した寺院の中では、鐘や太鼓がいっせいに鳴らされました。それは私たちが趙氏の使者だからで、私をとても感動させました。同根同源の両国文化は中日の関係を改善・推進する面で巨大な力を持つと思います。

私は、二千年にわたる友好は中日関係の独特の長所を形成していると考えています。河野洋平元衆院議長が話されたように、日本文化の伝統の中には中国文化のかぐわしい香りが濃厚に漂っているのです。加えて、私たちには民間の土台があります。両国の民衆交流の歴史は長く、規模は大きく、その影響は深いのです。これは、世界の文明発展史の中でも極めてまれなものです。ですから、中日関係が困難に出会う時にはいつも、文化の力、民間の力が立ち上がり、深く静かに、絶えず努力を続けていくはずです。なぜなら、いずれにしても「ひと筋の春風が吹けば、大洋の彼岸にも緑を運ぶ」と、私たちは固く信じているからです。

 

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