平和憲法の歴史を遡る 米国に強いられたものか①

平和憲法の歴史を遡る 米国に強いられたものか①。 平和憲法は本当に安倍首相の言う通り、戦後に米国を中心とする占領軍が日本に押し付けたものであり、日本が自ら制定し実行しているものではないというのだろうか。歴史を振り返れば、事実が決してそうでないことが分かるだろう…

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発信時間: 2013-05-10 14:55:27 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

その時、国際社会では天皇を含む日本の戦犯を処罰する呼び声が高まっており、平和と自由を獲得したばかりの日本国民は、新憲法草案の内容にひどく失望させられた。連合軍最高司令官のマッカーサーは、新憲法を早期制定し、日本国内外の不満をなだめる必要性を感じた。マッカーサーはまた天皇を守ることで、連合軍の日本占領に向け安定的な環境を演出しようとした。そこでマッカーサーは連合国総司令部民政局に、憲法草案の一部の作成を担当させ、「国民が主権を握り、天皇を象徴とし、戦争を放棄する」という三つの基本原則を掲げた。

連合国総司令部民政局が当初起草した憲法草案は、当時の幣原内閣の強い反発にあった。歴史学者の半藤一利氏が記した「昭和史」によると、幣原内閣が連合国総司令部の憲法草案を受け入れなかった場合、連合国総司令部は国民投票を行わざるを得なくなり、これにより憲法草案が可決される可能性が高かった。当時の日本人は、かつての政治家・軍人により組織される本国政府をまったく信頼していなかったからだ。また幣原本人が1946年2月22日に皇居に赴き、連合国総司令部の憲法草案について報告した際、昭和天皇は天皇のすべての政治権力が剥奪されることになろうとも、最も徹底的な改革を行うよう表明した。天皇の表明を受け、幣原内閣は抵抗をあきらめた。

上述した史実からも、日本の現行の平和憲法の制定は、安倍首相が言うように占領軍が日本に押し付けたものではなく、当時の日本では平和を希望する民衆が圧倒的多数を占めており、天皇までもが自らこれを選択したことが分かる。平和憲法の制定を不服とし、あくまでも抵抗したのは、少数の軍国主義の残党だけだ。

 

平和憲法の歴史を遡る 米国に強いられたものか②

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年5月10日

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