資料写真:取材を受ける福島原子力発電所周辺の住民
◆賠償請求権はどこから
中国国民の賠償請求権及び中国の裁判所の管轄権が合法的、かつ合理的に確証されるか否かが、1つの問題となっているようである。実際、賠償請求権及び本国の裁判所の管轄権は言うまでもないことだ。
環境法には、環境汚染の被害者が賠償を要求する法的根源について解説した、長年にわたり伝えられてきた故事がある。1930年、カナダ・ブリティッシュコロンビア州のトレイル精錬所は操業の過程で大量の粉塵を排出。粉塵は北風に乗り米国のワシントン州まで運ばれた。大量の農作物が絶滅あるいは減産となり、森林や湖の汚染が深刻化したことで、米国人は義憤をかきたて、抗議の声が絶えなかった。米政府とカナダ政府は、賠償問題の解決を連合仲裁委員会に委託することで合意。カナダ政府に汚染排出行為に関与する意思があったと証明する証拠はなかったものの、仲裁委員会はやはりカナダ側が責任を負うべきだとの考えを示した。仲裁委員会は「国際法及び米国の法律の原則に基づけば、いかなる国であれ、その領土をこのように利用あるいは利用を許可する権利はなく、そのために煙霧が他国の領土あるいは他国の領土にある財産あるいは生命に損害をもたらす結果となり、すでに重大な結果が生じ、しかも確実な証拠によって実証されている」と考えた。これはすでに国際環境法の典型的な判断となっている。
疑いもなく、東京電力及び日本政府に対し、賠償請求を提起する権利ははっきりしており、このような権利には2つの側面がある。1つは個人(公民個人及び企業、事業体などの法律実体を含む)が、放射能汚染による損害を受けたために賠償を要求する。いま1つは、ある損害について特定の個人の被害者は探し出せないが、このような損害は国家にとって確実不動、しかも長期的なものであり、やはり潜在的に長期にわたる潜伏を経て初めて明らかになることすらあり、中国政府がこれに対し行動を講じる権利を有しているのは間違いない。
中国の裁判所の管轄権に至っては、より簡単である。環境損害賠償は本質的に、1つの権利侵害の案件であり、訴訟で誰が被告になろうと、損害が仮に中国領土内に影響を及ぼしているなら、権利侵害の結果がもたらされた地域の裁判所としての中国の裁判所は当然、管轄権を有する。
◆国内訴訟の障害