資料写真:福島第一原子力発電所を調査する国際原子力調査機関(IAEA)(5月28日)
◆国内訴訟の障害
中国側が賠償請求する権利を有し、しかも中国国内の裁判所が管轄する権利を有していても、本国の領内で起訴するには、なかなか克服できない実質的な障害が存在している。
中国国内での訴訟はかなりの程度、実質的な価値が失われるが、その原因は2つある。1つは、仮に東京電力を被告とすれば、実質的な意義は小さい。東電は今回の危機ですでにすべての賠償を支払う能力はなく、破産するか否かはまだはっきりしておらず、それに加え、中国領内では業務はないため、訴訟に提供できる保全・執行する財産が不足しているからだ。いま1つは、仮に日本政府を被告とすれば、すぐに国家主権の免除という難題にぶつかる。「平等な者の間に管轄は無い」、この古い法律関連のことわざには、日本政府に対するいかなる訴訟をも妨げるに足る力がある。
1歩退いて言えば、仮に賠償請求訴訟が日本で起きた場合、法律適用の面で乗り越えるのがかなり難しい悩みが存在している。つまり、放射能汚染の行為は非常に明白だが、いかなる損害賠償をめぐる訴訟も必ず被害者が受けた損害を前提にすると同時に、損害と権利侵害の行為との間に存在する確定的な因果関係を証明しなければならないということだ。核種が海洋水を数千キロ経た後でも、中国の個人に必然的に発生する損害をもたらすことができるのか、これをいかに証明するかは技術的に極めて困難である。
こうしたことから、筆者は次のように予想する。国内であれ、日本であれ、賠償請求訴訟は必ず起きる。起きたとしても十中八九、敗訴する。敗訴の原因は必ずしも日本の裁判所の不公正というわけではなく、結局のところ、損害と行為との間の因果関係をいかに証明するかは、世界クラスの難題である。
◆米国に学ぶ