2003年10月14日、中日平和友好条約締結25周年を祝うため、80歳を過ぎた清水正夫氏が自らバレエ団を率いて北京入りし、訪中公演を行った。それは、松山バレエ団にとって、12回目となる訪中公演であった。
1955年、松山樹子氏が周恩来総理に贈られた映画『白毛女』のフィルムをもとに、バレエ『白毛女』を創作した。周恩来総理は中国の国慶節のレセプションに日本で『白毛女』を踊った松山樹子氏を招待し、1958年には周恩来総理の招きで松山バレエ団が訪中して、北京、上海、重慶、武漢などの都市で初めて中国人にバレエ『白毛女』を披露した。日本の『白毛女』は中国の劇場を大いに沸かせ、好評を博している。
1964年秋、松山バレエ団が中国公演のために再度中国を訪れ、10月1日の国慶節に、清水正夫氏と夫人の松山樹子氏が祝賀パレードの観覧席に招かれた。
当時の日本には、松山バレエ団の『白毛女』と彼らの訪中公演を非難する勢力もあったが、松山バレエ団の日中友好活動は、次第に人々の理解と賞賛を獲得するようになる。1992年、中国訪問から帰国された天皇、皇后両陛下は、長期にわたって日中友好活動に従事してきた人々を謁見された。このとき、皇后陛下は、松山バレエ団が改編バレエ『白毛女』を創作したこと、訪中公演を行ってきたことに対し、清水氏に感謝のお言葉を述べられた。
松山バレエ団の訪中公演は、毎回中国の観衆の熱烈な歓迎を受けている。この半世紀、100回以上も中国を訪れた清水正夫氏は、中日関係の発展の過程を自ら体験してきた。2004年9月22日、赴任間もない王毅駐日中国大使は清水正夫氏に会い、「清水先生と松山バレエ団は中国人民の真の朋友であり、中日民間友好のシンボルであり、両国の文化交流の旗印でもある。私たちは日本国民も中国人民と同様に、中日友好を望んでいると堅く信じています。中日友好は歴史の流れであり、中日両国にとって唯一の正しい選択です」と、語りかけた。
中日文化交流に貢献してきた清水氏、松山氏に感謝を表すため、2004年10月、中国文化部は両氏に「文化交流貢献賞」を贈った。
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