谷村新司さんと言えば、日本では押しも押されもせぬ「音楽界の永遠の青春像」である。デビュー以来30年余り、他の歌手のために作曲した楽曲も含め、谷村さんの作品は多くの人々の愛唱歌になっている。谷村さんは日本の著名なミュージシャンであり、日本のニューミュージック界の大御所でもある。
谷村さんは1948年、大阪に生まれた。23歳のとき、音楽好きの彼は仲間と「アリス」を結成、翌年にシングルを発表する。音楽の道を歩んだ谷村さんは、「アリス」だけでなく、他の歌手にも楽曲を提供しており、スーパー・スターの山口百恵さんも彼の曲を歌っている。1987年、谷村さんは「アリス」を離れて、ソロ歌手となり、「紅白歌合戦」に出場した。この年から18年連続で、谷村さんはこの日本で最も盛大で重要な歌の祭典に出場し、紅白歌合戦の常連大物歌手となった。谷村さんはこれまでの音楽生活で驚くべき数字を挙げている。リリースしたレコード・CD63枚、売り上げ総数約3000万枚、コンサート数3600回以上、観客動員数約800万人……。
1980年代、「谷村新司」の名前は、中国の歌手にとっても楽曲の品質保証を意味した。この時期、香港の多くのスター歌手が彼の作品を歌っている。中国でも広く知られる梅艶芳さんの『孤身走我路』、レスリー・チャンさんの『有誰共鳴』、『共同渡過』は、すべて谷村さんの曲に中国語の歌詞をつけたものである。
谷村新司さんと中国の関りは、その作品だけではない。谷村さんがデビューシングルを出した1972年は、中日国交正常化が実現した年でもあった。このような巡り合わせが、彼の音楽人生を中日の文化交流と結び合わせた。
早くは1981年、谷村新司さんは中国のステージを踏んでいる。北京工人体育館でのビッグ・コンサート『Hand In Hand 北京』で、谷村さんは中国の音楽ファンと観衆を魅了した。中日国交正常化30周年の2002年、やはりデビュー30周年を迎えた谷村さんは、中日国交正常化30周年コンサート、『中日携手・世紀同行(中日が手を取り合い、新世紀をともに歩む)』の企画を引き受け、日本の大スター、浜崎あゆみさん、酒井法子さんとともに訪中し、当時の中国を代表する歌手と空前の規模で開催された北京工人体育館でのコンサートに出演した。このコンサートは、谷村さんにとっても、デビュー30周年を記念する最良のイベントになったことだろう。
2003年、中国がSARSに見舞われたとき、谷村さんは日本でコンサートツアーの最中であった。中国の状況を知った谷村さんは、7月13日に大阪で行われたツアーの最終コンサートをSARS撲滅のためのチャリティ・コンサートにし、その場でSARS撲滅のためのチャリティ基金を設立して1500万円の募金を集めた。
2004年、谷村新司さんは上海音楽学院に音楽工程学科教授兼中日音楽文化研究センターの顧問として招かれ、中国の若いミュージシャンの養成に取り組んでいる。谷村さんはより直接的な方法で、中国との得がたい縁を保ち続けている。
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